“へたれ”として永遠にイジられ続けて来た小早川秀秋。彼の人生、其の三

異国で指揮官を務める秀秋、その姿はドラマで登場する秀秋とは別人。

軍の編成 組織 役職

前回からの続きです。慶長の役がいよいよ始まった。この遠征軍の総司令官に任命されたのが小早川秀秋でした。秀秋の胸中はどうあれ、大抜擢であった。

今回の遠征軍は中国、四国、九州の勢力を軸に編成され、遠征軍は次々と渡海を果たし侵攻を開始する。その軍団編成は、

第一軍団-加藤清正。

第二軍団-小西行長や宗義智(そうよしとし)等。

第三軍団-黒田長政、島津豊久、毛利吉成等、

第四軍団-鍋島直茂、勝茂等。

第五軍団-島津義弘。

第六軍団-長宗我部元親、藤堂高虎等。

第七軍団-蜂須賀家政、生駒一正等。

第八軍団-毛利秀元、宇喜多秀家。といった編成であった。

小早川秀秋は、釜山周辺の守備に当たる事になる。遠征軍は総勢14万程だったそうだ。

遠征軍は前半は快進撃を続けたが、前回の戦い同様、長く伸びる補給線の問題が付きまとい、前線はジリ貧になって行き、遠征軍は南部沿岸まで後退し、持久戦の形となった。

しかし加藤清正らが守る蔚山(ウルサン)城が大軍に包囲される形となり、南沿岸付近の防衛が厳しい状態に追い込まれた。

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ここで秀秋は、救援命令を出し、西生浦(ソセンポ)城に救援軍が到着。だが集まったのは1万5千程だったようだ。思った以上に数は集まらなかったがこれを引き連れ、救援に向かった。

遠征軍は城と外の軍で示し合わせて、大軍を撃退し大きく後退させた。

ここで秀秋は後退する敵軍を追いに追い猛烈な追撃戦に出る。自らが槍を奮い敵中に突っ込んで行った。秀秋はこの時、13の首級をあげたようだ。

これを見ていた現地の将達は秀秋の奮戦振りに驚き、口々に秀秋を喝采していたようです。

この戦いの秀秋は後世の彼のイメージとは随分かけ離れています。秀秋がこの時どういった心境だったのかは分かりませんが、若武者秀秋、初めての実戦の戦績としては十分過ぎる程の戦績でしょう。

この情報は直ぐに日本にも渡り、当初秀吉も秀秋の戦功を大喜びしたそうだ。

慶長2年1597年の12月に秀秋に帰国命令が下される。小早川軍は残留部隊を残し、帰国を始める。秀秋はこの時、意気揚々としていたでしょう、胸を張って秀吉に戦況を報告できるからだ。一番理解して欲しい、一番受け入れて欲しい人間に手土産を持参して合える。きっと秀吉は喜んでくれると確信していたに違いない。

秀秋、帰国

しかし、秀秋に待ち受けていたものは、筑前、筑後の没収。そして越前、北庄(きたのしょう)への減封であった。秀吉からの言葉は「大将たる者が敵中に突っ込んでなんとする。将としてあるまじき行為だ。」であった。秀秋は唖然としただろう。異国で死に物狂いで戦い働いてきた人間に対してのこのジャッジだ。

秀吉の言う事にも一理ある。総大将が討ち死にしてしまっては、軍は大混乱に陥る。何より秀秋の役目は釜山周辺の防備であるからだ。

その昔、武田信玄も同じ事で息子、勝頼をいさめている。が、この秀吉の言葉は建前だ。本当の理由は、秀秋の株が上がれば、実子の秀頼の威信に関わるからだ。秀秋の活躍は秀吉にとって甚だ迷惑でしかないのだ。そして秀秋がもし将として才があるならば、小早川家の領地、強大な軍事力は脅威となる。

秀秋は歳も若く血気盛んな年頃だ。こういった極めて繊細でなかなか公にはできない、秀吉の心情を察する能力というか、したたかさがまだまだなかったのでしょう。

戦功を上げれば万事解決といった単純純粋な思いしかなかったように思われます。もし秀秋に”ズル”さと”したたかさ”がもう少しあれば、秀吉との関係は違ったものになっていたかもしれない。

秀吉の処遇に唖然とするも、やがて憎悪と化す。自分は秀吉にこれでもかとばかりに尽くしてきたつもりだ、「なのにこの仕打ち、許せん。」 秀秋の気持は痛いほどわかります・・・

自分がなぜ秀吉から排除されようとしているか、頭で分かってはいるが、それを回避する為の具体的な行動を秀秋はしていないのだ。感情と方法論がなかなか切り離せないのが若者の常なのでしょうか。

怒りに打ち震え、やり場のない感情を内に押し込めている若者に、そっとちかよって来た人間がいた。徳川家康だ。

家康は秀吉の腹の内も秀秋の腹の内もよく分かっている。わかっているが故に秀秋をうまくとりなす事も容易い。百戦錬磨の老獪な家康からしたら、この若く孤独で純粋な青年を手玉ににとることなぞ造作もないのだ。家康はそっと秀秋の心の中に入り込むのだ。

秀吉死去

そんな最中、秀吉がこの世を去った。秀秋の処遇は棚上げになり、そのまま所領は安堵されることになる。

秀秋は言うまでも無く、豊臣の人間だ。しかしその豊臣が秀秋にしてきた仕打ちはあまりにも酷だった。秀秋はどんな心情だったろうか、もはや秀吉が居ない世。自分は秀吉に認めてもらおうと、必死で宛がわれてきた人生を駆け抜けてきた。が、最後まで秀吉は自分の見方を変えなかった。

秀秋にとって、豊臣はもはや主のいない自分にとって空虚な存在、そして、秀吉には愛情と憎しみがごちゃ混ぜにり一生処理できない状態で心の中に溜め込むことになったのではないでしょうか。

秀秋は大人たちの都合に振り回されて来たが、それをうまく立ち回るだけの老獪さを身につけるには、まだまだ若すぎたのでしょう。

次回につづく

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