少々イメージダウンかもしれないが、乱世の軍馬は足が短い
中世期に使用されていた馬は、現在の競争馬のような、脚が長くスレンダーな馬ではなく、ポニーちゃんに近い体格だったことは、よく知られる事となりました。
戦記物のイラストや映像では、現在のスレンダーな競争馬のような体格の馬に乗っている将が描かれています。これは演出的に見栄えがいいのでこうしているようです。
当時実際に使用されていた馬は、もっとどっしりしていて、脚は短く太い。スピードも現在の競争馬に比べるとかなり遅かったようだ。
その代わり、馬力が現在の馬を凌駕していた。現在の競争馬はレースをする為に飼育され、平らな地面を直線的に走る能力には優れている。
乱世の頃に武士が乗っていた馬は現在と同じく飼育され、面倒を見る人間がいたが、その飼育されている場所は広大でほぼ放し飼いに近い状態だったようで、高低差のある自然地形で飼われている為、足腰が強靭だったようです。
源平争覇期の頃、あるいは、それ以前の時代では、馬は基本戦場で活躍してもらう存在で、戦場に到着するまでは、なるべく温存して大事に扱われていた。
これが徐々に馬は荷物、軍事物資を運搬する機動力に加えられた。当時の軍路は現在のような、綺麗に舗装された道は少ないので、その殆どは悪路で高低差の厳しい、一歩間違えれば転落するような場所を行軍していった。しかも馬に乗る人間は甲冑を着ているので、とても重い。
そのような場所を当時の馬は軍事物資を運びながら行軍していた。これは、馬の数が、機動力に影響したことを物語っています。
現在の競争馬とは、求めらる能力が、ちょっと違うのです。戦争の際、馬は多ければ多いに越した事は無く、どの勢力もできうる限り馬を投入した。
馬だって腹が減ります
そこで大変になるのが、食糧です。よく兵糧と言う言葉がでてきますが、これは人間が食べるものを連想します。が馬もご飯を食べます。
人間と同様、その数が多い程コストが上がっていきます。しかも馬自体を飼育し管理する人間も必要になるので、その分もコストに計上されるわけです。戦争はこの部分だけを見ても、大変な食糧と銭がかかることが伺えます。
馬の食糧は、藁(わら)、糠(ぬか)、干草(ほしくさ)、を刻み、そこに塩を混ぜたものを食べさせていたようです。馬も食べなければすぐに痩せ衰えてしまうので、戦争中は軍事物資、兵糧の他、荷駄隊(くわしくは⇒)は馬糧(ばりょう)も管理、運搬していました。
馬は手入れや水を飲ませたり、戦時中は馬が疲弊しないよう、小まめに面倒を見る係りが必ず従軍していた。
当時の馬は戦争には欠かせない戦力で、武士といえば、馬にまたがるシルエットを連想しますが、時代劇風の絵画や映像で登場する馬は、実際はもうちょっと寸胴で脚が短く、かわいい風貌だったようです。
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