斬り合い太刀打戦
武者同士の一騎打ち。騎射戦(詳しくは⇒)で勝負がつかないと、どちらかが刀を抜き太刀打ち戦を要求するか、組打ち戦(詳しくは⇒)を要求します。この要求を受けることが、武士の流儀であった。
太刀打ち戦は騎射戦とは逆に相手を右側で受けなくてはならない、相手を左側に受けてしまうと戦いづらいからだ。しかし主人の形勢が悪くなると、郎党が助けに入ってきます。
こうなると相手方も飛び出してきて、乱戦へと展開するのです。こうなってしまうと潔さは無視され一騎打ちの形は崩れます。なので一騎打ちでは、乱戦になる前に相手を仕留める必要がありました。
乱戦になると主人は郎党を守り、郎党は主人を守る形で戦いが展開され、郎党の数が多いほうが有利になります。また太刀で戦闘をする場合は騎馬より徒歩のほうが有利で戦い安すかったようです。
そのため騎馬武者は馬でスピードを出し相手方に近づき矢を放つ戦い方がスタンダードだった。古い時代の弓はさほど距離が出る物ではない上に遠くから相手を射ることを卑怯とする風潮があったそうです。
高度な技術を要求される刀の扱い
室町時代では槍が普及していて、戦場で刀を抜くというケースは、槍が壊れて使う武器がなくなった時や非常時。
又は相手の首を切る時に短刀を使う位でしか刀を使うことは無かった。皆が槍を振り回している中で、刀では対応できなかったからだ。
しかし鎌倉から南北朝にかけては弓矢戦の後、乱戦へと発展して行き徒歩武者の太刀打ち戦となった。この当時の刀は室町時代の武士が使っていた刀より長い長太刀が普及しいて、この長太刀で切り合いをしていた。
太刀打ちで相手を仕留めることを「太刀打ちの戦功」と言われ、名誉として重んじられ、その価値観は安土桃山時代まで続いていたそうです。
室町時代に槍が普及したのは、その長さの優位性もあるだろうが、扱い安さが良かったのでしょう。兵隊の殆どは農民である為、剣術などの訓練をしていない者でも、刀に比べると容易に扱えたようです。
刀の扱いは弓矢同様大変な技術が要求されたようで、下手では人を斬ることが出来なかったようです。
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