農民の賢い非難法。山上り

農民は近場に城がなければ、自分達で施設を作る。

月 桜

“戦が起こると大迷惑な農民”でも触れましたが、村や集落に軍が迫ってくると、農民達は、近場の領主や国人衆達の城に非難をしましす。これを“城上り”といいます。現在でも、震災が起きた場合、役所や学校等に避難するのと似ています。

しかし必ずしも、そういったケースに該当せず、近場に城が無い場合、農民は山や高台に逃げ込みます。

中世の日本では、戦争自体が恒久化しており、それこそ日常的にどこかでドンパチやっているのが、普通でした。こうしたことから、農民達は自らの自衛の為、自分達の住んでいる場所の傍に、いわゆる砦や建物等を築きそこに立て篭もったり、あるいは蓄えを隠したり等の自ら防衛する手段を持っていた。

とかく自分達の土地が戦場になると、まず略奪されることは間違いない。地域によってはむしろ台風や地震がくるよりも、敵軍が雪崩れ込んでくる方が、よっぽど確率が高いぐらいだ。

こうしたことから、村単位で共同して事に当たることも多く、農民達の篭る場所を襲う場合は、敵軍もそれなりの覚悟が必要で被害がでる。

軍はこうしたことからも、作戦上不毛と判断した場合、これらの集落を避けることもあり、多少の効果はあったようです。

又、上の例とは逆に「隣人ほど付き合うのは難しい。」なんて事を聞いたことがありますが、これは今も昔も同じらしく村同士の抗争も盛んでした。

この村同士の抗争が拡大していって戦争となるのですが、規模は小さくとも抗争に発展すれば、立派な戦争です。

村自体が常に危うい微妙なパワーバランスで、それがいつ爆発するか分からない状態で各集落が存立していて、どこどことは、共同関係だが、あそことは敵対中だ等と複雑なネットワークがあったようです。

こうしてみると、武士ではない農民も常に防衛と、ある程度戦える状態を保っておかなければならなかった事が伺えます。

彼らは領主等が造った立派な砦がなくとも、自分達で理にかなった地を選び、そこに防衛施設を築いていたのです。

周りの地形をうまく利用して、砦や避難所を設けたり、多少の武器武具は用意し、見張り台なんかも設営して、常に備えていたのです。

山や高台はこういった、自衛の為には格好の場所であったのです。

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