忍者とは?その仕事っぷりを紹介します。
忍者は現在では知らない人はいないでしょう。海外でも忍者は人気があるそうですね。一般的に服部半蔵や風魔一族なんかの名を上げれば、なんとなくどんな仕事をしていたのか、想像しやすいと思います。
現在では忍者と呼ばれていますが、当時は忍びの者、奸(かまり)、乱波(らっぱ),透波(すっぱ),突波(とっぱ)等と呼ばれていて、呼び方は地方や勢力によってまちまちだ。
また忍者としてひとくくりにして、連想してしまうが、それぞれ担う役割は沢山あり、そう単純なものではない。
しかし表向きにはこれらを生業にする者を用いることは、武士達は潔良としない事になっているが、実際はどの勢力も彼ら忍びの者を積極的に用いていた。彼らなくして、乱世を生き残ることは出来なかった。
さて具体的に彼ら忍びの者がどんな仕事をしていたのか、ご紹介します。
「物見」 スパイ活動,密偵を行う者
まず物見(ものみ)と呼ばれるポジションがあった。これは、戦時中のいわゆるスパイ活動で、敵陣の様子を伺いその情報を持ち帰る。軍はこの情報を元に作戦の具体案を立てていくのだ。ま、お馴染みですね。
戦争の勝ち負けの鍵を握る非常に重要な役割で、ただこの場合忍びの者を使うケースと、そのまま足軽を使う足軽物見や騎馬武者を使うケースもある。これはいわゆる、斥候と言うと理解しやすいでしょう。
物見にもいくつか種類があり、遠物見(とおものみ)として、陣とある程度の距離を保ち外側から軍を監視する役割と、変装して直接軍の中に紛れ込み監視する役割があった。
彼らが持ち帰った情報を元に軍事行動を行うため、それ相応の人物達が人選されていた様です。この役割には求められる能力事に、慎重である人と勇敢である人が人選され、それぞれ適所に配置されていた。
逆もしかりで自軍がこいういった事をしていれば、敵軍も同じ事をしているわけで、当然自分の軍に物見が紛れ込んでいる。その為怪しい者はすぐに嫌疑を向けられる。
これはなにも軍の兵隊だけではなく、たまたま近くに在住している農民(これに関して詳しくは⇒)も含まれる。
嫌疑を掛けられば即捕縛され拷問の挙句殺される。又はわざと偽の情報を掴ませ、そ知らぬ振りを決め込みそのまま逃がしてしまう等の、壮絶な駆け引きが行われていた。
その為、物見は相当な度胸、判断力、したたかさ等、高度な駆け引きが行える人物でなければならなかった。
映画のような話ですが、軍の作戦の根幹を担う役割が物見なのです。
「奸(かまり)」 戦闘のエキスパート集団
奸(かまり)と呼ばれる者達がいたが、彼らは、正規軍に属する者達ではなく銭で臨時に雇われる連中だ。野武士等の集まりで普段戦争がない平時には、山賊海賊を生業にしているごろつき共だ。
大変扱いの難しい連中で、しかも彼らにはいわゆる武士の規範など存在せず、彼ら独自の価値観で行動する。
なので簡単に敵方に付いてしまったり、戦争に勝つことよりも、略奪や人取り(詳しくは⇒)、自分達の利益の方を最優先した。これらを指揮下において作戦を行うのはかなり難しい事でしょう。
が、それでも軍は彼ら奸を積極的に採用していたのだ。
奸は良くいえば非常に勇敢だ、特に戦時下においては、稼ぎ時であり、そのパワー凄まじい戦力になる。
上にも書いたが武士としての価値観がないため、その戦い方も特殊でゲリラ、闇討ち、何でもござれで手段を選ばない強さがあり、また土地勘にも優れていた。
もともと奸とは、草むらに隠れ伏せる行動から「かまり」または「芝見」と呼ばれていたらしい。
彼ら奸は戦闘のエキスパートなのだ、通常の農民足軽よりも格段に戦闘に精通していた。
しかも戦時下であれば軍の公認!何を警戒する事も無く大暴れできるので、戦場では奸は重宝されたのだ。
扱いが難しく、規範のない連中ではあるが、殺しに関してのその技術は軍にとって、デメリットを覆すメリットがあったようです。
今回は物見と奸を紹介しましたが、長くなってしまうので、続きは別記事で。
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