戦国武将達の残したありがた~い言葉。でもなかなか真似できないよねの言葉。(北条氏綱偏)

戦国の名将、北条氏綱の言葉

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北条氏綱という方をご存知だろうか?この方は、あの北条早雲の後を継ぎ北条家を拡大させた戦国の名将です。彼の名将ぶりを紹介し出すと膨大な文字数になってしまうので、この記事では控え又別の機会で紹介したいと思いますが、とにかく彼は名将です。

北条氏綱さんは、その後氏康に当主の座を譲り引退します。

小田原城

 

当主交代の隠された意味

すこし余談になりますが、どうもこの時期日本では未曾有の大飢饉があったようです。

昔当主を交代、つまり王が変わるということは、新しい時代が到来し、旧時代で起こった悪い事はすべて払拭されるというジンクスがあったそうだ。

こういった迷信は日本だけでなく、世界中でそう思われていたようです。氏綱が氏康に当主を譲ったのは、氏康が当主としての才覚を持ち合わせていたからという節も当然あるだろうが、大飢饉による国の悪い流れ、これに連動する百姓や農民の不満を当主交代によって流れを変える効果を狙い、大飢饉でのタイミングの当主交代とも取れるのだ。

ちょうど同じころ武田家でも晴信のクーデターにより信虎を追放している。この武田領内も飢饉に苦しんでいた。

当主交代には、悪い流れを作ってしまった当主は交代して、次の当主でその流れを変え、新しい風を吹かせるという意味を多分に含んでいたそうだ。

氏綱の五箇条

少し余談が長くなりましたが、氏康が当主となり氏綱はその後病気で重態に陥ったそうで、もうだめだと判断した氏綱は氏康に当主としての心得五箇条を書き残しています。その中の一節に大変素晴らしいことをおっしゃっております。全部素晴らしいのですが。

この五箇条の中で氏綱さんは、家中は決して贅沢をしてはいけない。当主が贅沢をしようとすれば、それは百姓に無理な課税を要求することになり、町人や商人の利益を奪うことになる。これら重税は引いては国内の財政は著しく低下し彼らは困窮するに至る。そうなれば、百姓は田畑を捨て他国に走り、また町人や商人は恨みを抱き家中に復讐心を芽生えさせてしまう。そうなれば家中は立ち行かなくなる。

また氏康に倹約を心がけなさい。ともいっている。

贅沢に走ることは民衆を貪ることでしかない。倹約を心がければ、彼らを痛めつける事も無く、村は裕福になっていき家中も潤うことになる。領国が豊かにになれば強い軍団を組織できるし戦争に勝利するのも間違いないと述べています。

集落の集まり、それを束ねる領主これらの集まりの上に位置するのが大名だ。

大名とは彼らの支持なくては立ちいかないのだ。その為集落の安全と豊かさを提供し、それを期待して民衆は領主や大名に年貢を収めているのだ。大名は自勢力の領国を繁栄させる義務があるのだ。

各集落に無理な税を課しては、国は疲弊する。しかし彼らに裕福さを提供すれば、必然的に国は強くなり外的の侵攻をもろともしないし、戦争に負けることもないといったところでしょう。

当主たる者の帝王学を残したわけですね。中世の日本は、いうまでも無く殺し殺される無慈悲な世界でした、しかしこうした無常の世であって、その世界を勝ち上がった来た氏綱さんの言葉だけに説得力があります。

ルール無き世のように見えるが、そうではなくそこには普遍的な人間の価値観とモラルがあり、それを無視した蛮行を行う勢力は繁栄しないという氏綱さんの建前なしの人生哲学なのでしょう。

私達の現代の世界から随分昔の人の言葉ですが、妙にしっくりきます。それは私達の社会も当時と似通ってる部分が相当にあるからだと思います。

役人や政治家・・・・、いや、このサイトでは現代の政治論はしなつもりなので止めときますが、民衆が困窮している国家は何かが歪んでいるのでしょう。それは天災や災害だけでなく人為的によってです。

殺し殺される修羅の世界で生きた氏綱さんのような人がこのような五箇条の心得、人道を諭し氏康に残しています。

小ずるい口上手な奴程得をする世の中になってしまいましたが、国の行く末を預かるような立場にいる人にこのような考えを持って挑んでいる日本人が居た!ということになんとなく嬉しくもなり誇りにも思います。

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