戦場の高みの見物。それはお気楽な傍観ではなく農民、百姓のしたたかな計算がある。

戦場の行く末を監視する農民、百姓

月 桜

戦争が起こると、農民、百姓は、城上り(詳しくは)、山上り(詳しくは)といった方法で非難をするが、その後このもの達が山や高台から気楽に戦争見物を決め込んでいるといった話を聞いたことがありませんか?

確かに昔の書物等にこのような光景を描いているものがあります。しかしこれは少し楽観的な見方であるようでしす。

彼ら非戦闘員は非難した後戦争を傍観しています。しかしその避難場所を敵軍に知られると、戦闘がひと段落した時点で敵軍が襲撃してくる可能性を十分に秘めているので、決して気楽な見物といったわけではなかったようです。

農民の避難と仕返し

集落の側に領主の城や砦がない場合、非戦闘員は山に逃げ込み普段からある程度の防衛が出来る準備をしていました。これは隠れるといった意味と、いざという時の防衛の為の処置です。彼ら彼女らは武士ではありませんし、なにより大事なのは自分達の安全です。そのため武士のような誰それに一生ついていきます的な主従の感情は極めて低いのだ。

民衆からしてみれば、武士の権力闘争などより自らの財産を守ることの方が大事なので当たり前だ。これは全国の農民達がそうであったでしょう。つまり農民、百姓は「強い者であれば主人は誰でもいい!」なのだ。ここに農民百姓のしたたかなな計算が隠されている。

農民や百姓は出来るだけどこの勢力にも柔軟に鞍替えできるよう出来るだけ中立制を維持していたと思われます。上に書いた山上がり等はその計算の一つでしょう。

これは村や集落で防衛の為とはいえ、公然と武装してしまっては、現領主からあらぬ疑いを向けられる恐れがあるからだ。こういった嫌疑を避ける為、山等人目の付かない所に避難所兼、防衛施設を気づいていたのでしょう。そして農民百姓はただ隠れるだけではなく、遠くから戦場を監視しています。これは非常に頭のいい方法だと思います。

流れに逆らず流れのままに。

織田信長は、「百姓などというものは、草のなびきや時分を見計らって行動する者だ」と語っています。民百姓には忠誠や主従など関係なく、強くその時に勢いのある主を嗅ぎ分けそれに組するのだ。それが農民百姓の処世術だった。そもそも忠誠や主従などといった規範は武士の価値観であって、民衆にはどうでもいいことなのだ。

しかし、自分達の土地が戦場になってしまえば、土地がボロボロにさてしまうの避けれません。ここで農民や百姓達は戦闘の形勢をじっと見守り勝負が決まるタイミングを待っています。ある程度勝負が決まると片方が逃げ始め片方が追撃戦を始めます、このタイミングで隠れていた者達は山から下りてきて、戦場荒らしを始めるのです。(詳しくは)

決して高みの見物を気楽に行っていたわけではなく、こうした計算があっての高みの見物なのです。

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