捕虜 人取り競争。それは食う為に農耕と同じように行われていた。

食う為に人は人を売る。

桜 月

敵国に国内を占領されると、その土地の者は捕虜にされます。これは、古今東西かなり昔から行われていて、日本も例外ではなく、兵士達はこの捕虜獲得に夢中になっていた様子がいろいろな資料から見て伺える。日本ではこれを人取りと呼んでいた。

捕らえられる人は、庶民、女子供、人であれば見境無く捕虜にし、他国に売り飛ばしたり、親族、血縁関係者に身代金を要求して銭に替えていたようです。

こういった光景は日本では無縁に思っている方も多いのではないでしょうか?日本も他の国と同様で戦争あるところに、人取りありなのです。

戦国時代にルイス フロイスという宣教師が日本に住んでいたのは皆さんのよく知る事だと思います。彼は正に戦国時代をリアルタイムで眺めていた人なのです。

そんな彼がこんな事を書き残しています。西欧では領土拡大が戦争の主な目的であるが、日本の場合は食う為に戦争を行っていると。この見方が日本の姿の全てを完全に説明できているかどうかは、別として、少なくとも彼には、日本人がそう写っていたのだ。

これには裏づけとなる資料が沢山残っている。日本のどの勢力も他国へ侵攻しそこの正規軍を排除すると、兵隊による、麦、米、農民の財産、そして人取りが行われていた様子がまざまざと記されている。

各勢力が競って略奪人取りを行っていた背景には、日本全国が慢性的な飢饉状態であった背景があるようだ。この件に関して詳しくはこちらで

こいいった、略奪や人取りは主に下級兵の大きな収入減であった。武士として戦場に赴いている人間は戦功をあげれば、主将より恩賞をもらえる。働きが大きければ領地を加増して貰えるが、下級兵達にはそういった恩賞とはほぼ無縁だ、なので彼らの給料は戦場での略奪なのだ。

戦争こそが稼ぎ場であった。

こういった、略奪行為は軍の側で黙認していた。一応建前で、乱暴狼藉を禁止する札を建てこれを諌めるふれをだすが、無視されていたのが実情だったようだ。軍の側も戦力として、彼らに必死に働いてもらうには、略奪を黙認し、戦況が悪くなるような軍律違反でなければ、これを黙認していた。

フロイスの言う通り各地の戦国大名は、国民を飢えから救うために各地を転戦していた側面がある。弱い大名は、すかさず、敵軍の侵入を許してしまい、国内は狩場となってしまう。敵国に財産や食べ物、そして人間を敵国に連行されたり持ち帰られてしまうのだ。

有名な武田信玄。彼の在世中武田領土内が戦場になる事はなかった。このうような勢力下の人々は当時の中でもかなり裕福だったようだ。

この人取りは、もはやお約束的な、軍の行いだったのだ、軍の指揮権を持つ将達もこれらを黙認し、大きな収入減にしていた様です。

当時の商いの種類も多岐に渡り、戦争があるたび繁盛をする商売があった。これが人身売買だ。彼らは戦場を渡りあるき、人の売り買いの交渉に奔走していたようだ。戦場ある所に必ず商人が現れるのだ。

イメージとして、無理やり徴収され戦場に向かうイメージが強いですが、もちろんそれは間違っていないでしょう。しかし、喜んで戦場に向かう農民も居たのだ。これらの中から、戦がある場所に赴きそこで稼ごうと考えた者達も多数いたそうです。

こういった、人取り、略奪が盛んだったことから見える事は、農耕だけではとても生活が成り立たなかった、当時の苦しい実情が浮かび上がってきます。

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