武家の書記係り 右筆
現在の私達が昔の人間の様子を伺い知ることの出来るものの一つとして、古文書などの文章が残っている為です。昔の武家には必ず書記役を設け物書きが存在していました。
他国との交渉の際に使われる、いわゆる公文書を書く係りだ。彼らを右筆(ゆうひつ)と呼んでいた。
当時の書状の殆どは、この右筆達に書かれたもので、主君は花押(かおう。今でいう印鑑、サインの事。)を書くだけだ。
鎌倉時代までは右筆を執筆、手書、物書と呼んでいたようです。安土桃山時代辺りから、右筆、祐筆と呼ぶようになった。
昔の誰それの書状だとかを、教科書や写真等で目にした事があると思いますが、上にも書いたようにその本人の直筆とは限らず、特に他国とのなんらかの交渉に使われた公文書は、ほぼ右筆が書いた物なのです。
古い時代では、この右筆達は高度な学を有し達筆な者達が担当していた様だが、九州豊後の大名である大友義統(おおとも よしむね)が最近の右筆達は書式もなっちょらんし、字も下手だ等と愚痴をこぼしてる記録が残っていることから、安土桃山時代になると、若くあまり才能がない人間も右筆として用いられていたようだ。
戦場でも筆と紙を持ち書き続ける!
この右筆、優雅な職業に思えるがそうではない。戦場にも連れて行かれるなかなかヘビーな職なのだ。戦場の記録や敵国との交渉に書状が必要になる為です。
又戦場でとっても重要な功名帳の記録の仕事がある。これは一度記録するとその後の訂正は絶対に出来ないルールがあった。
人の働きの評価は慎重に行わねば、後で大変な自体に発展する可能性を十二分に秘めている重要な作業なのだ。
一番槍、二番槍といって、戦場ではすこぶる評価が高いとされる行いがあって、これは、敵と接触した時に一番最初に槍を交えた者を一番槍として高く評価された。
次いで2番3番となって行き、その次が一番首、二番首と評価されていく。
一番槍に躍り出た者はすっ飛んで陣に戻り報告に行くのだが、この際右筆達は直ぐには記録をしない。
二番槍の到着を待つのだ、これは何らかの理由で一番と二番が入れ替わってしまうのを避ける為で、必ずしも手柄を上げた順に陣に戻ってこれるわけではないからだ。
戦場では軍目付(詳しくは⇒)が走り回っていて随時戦場を見ている。これら軍目付の証言も必要で迂闊に記録はできないのだ。
このように右筆達の残したものがあるから、当時の様子が伺い知る事ができ、彼らの仕事がいかに偉大かが分かります。
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