正子公也氏デザインによるフィギュア 織田信長

このシリーズのフィギュアがかっこいいのです。手が込んでますね。シルエットも素敵です。
さて、この織田信長さん、今更説明するまでも無く彼の生涯については皆さんご存知でしょう。
このフィギュアの信長、鉄砲を担いでポーズを決めていますが、やはり信長といえば、鉄砲を連想させますよね。武田軍を鉄砲隊で粉砕した話は学校でも習うはずです。
しかし、武田軍を鉄砲隊で負かしたとする説明は非常に短絡的で正確ではありません、学校の教科書がこれでいいのか?と腹が立つ管理人ですが、長篠の戦いついてはここでは省きます。また別記事で。
ここで、軽く鉄砲と織田信長とキリスト教について触れたいとおもいます。
織田信長はキリスト教徒になりたかったのか?
鉄砲を日本に持ち込んだのは、ポルトガル人です。(ポルトガル人じゃないとの論説をされている方もいるようです。まあ諸説あるようですね。)
その際多くのキリスト教宣教師達が日本に上陸してきます。日本にキリスト教を広める為の交渉用の道具として、いろいろな物を日本に持ち込みました。(この日本でのキリスト教布教活動には、イエズス会の壮大な計画があり、単なる布教活動ではないのです。これも、また別記事で。)
その一つが鉄砲だったわけです。鉄砲は瞬く間に日本中に普及していきます。ポルトガル人が持ち込んだ鉄砲を日本の職人達は、改良を加えさらに精度の優れた質の高いものへとアップグレードしていき、あっという間にオリジナルを越える完成度へと昇華します。
この日本人の凄まじい技術力に当のイエズス会は驚いていたようで、ルイスフロイスはイエズス会に「日本は資源も乏しく土地は痩せていて獲る物はないが、かれらは勤勉で戦争がべらぼうに強い。」というような事を報告しています。
さて、鉄砲が普及し始めた日本では、大名自身がキリスト教を信仰する者も現れ始めた。宣教師達は自国の手土産を持ち大名に近づき領内での布教の許可をもらう運動をしていた。その相手の一人に織田信長がいたわけだ。
大名の中には、そのままキリスト教になってしまう者もいたが、織田信長はどうであったろうか?分かりますよね。信長が自分以外の何かを信仰する筈がありません。当然キリシタンにはなっていません。
しかし信長は宣教師達を厚遇し、布教活動を許可しました。理由はもちろん一つではなく多数ありますが、その理由の一つは鉄砲に関することです。
日本国内ではどうしても作れなかったもの・・・・
上にも書いたように日本の職人はとても優秀です、しかし彼らを持ってしても生産できない物がありました。それは火薬です。
この火薬の原料が当時日本にな無かったのです。
火薬がなければ鉄砲は何の役にも立ちません。そこでこの火薬を買う為に、当時の大名達は、火薬を持ち込む宣教師達を厚遇したのです。(もちろん全ての大名ではありません。キリシタンを嫌う者もいました。)
信長は鉄砲の投入によって軍を飛躍的に強くできる可能性を誰よりも知っている人でした、なので火薬の輸入ルートは何としても確保したかったわけですね。
火薬を確保するため宣教師達を厚遇し密接な関係を結んでいたわけです。
織田信長はキリシタン信仰を許可しながらも自分は決してキリシタンになることはありませんでした。あくまで自分の覇業に利用するだけでした。超がつくほどの合理主義、現実主義者だったわけで、いかにも信長らしいですね。
そんな織田信長さんのフィギュア紹介の記事でした。ちっと高いよね。
復活!!数量限定!正子公也氏原画デザイン ブロンズ風【武将フィギュア】武将フィギュア織田信長… |
スポンサーリンク