首級に付けられる札
首実検(詳しくは⇒)や首級(詳しくは⇒)の記事で戦後の死者への扱い、作法や儀式を書かせていただきましたが、これらの風習には、他の国には見られない日本独特の作法が多く存在し、武士ならではの作法だ。
首級2(詳しくは⇒)の記事でも少しふれましたが、敵将の首の扱いをもう少し掘り下げて紹介したいと思います。
武士達は戦後、自分の手柄を敵将の首とし主将の元に持参します。
これを首実検といい主将が敵方の討ち取られた将を確認したり、自軍の将の手柄の度合いを評価する場が設けられていました。この首実検を行うまでの期間、将達はそれぞれ首を保管します。
保管する際、首の血や泥を荒い流し綺麗な状態にして、首札(くびふだ)と呼ばれる板をつけて保管しました。その札には、その個人が特定できる名やその人物の行為等が記された。
この首札は髪の毛にくくりつけられるのだが、入道首には髪にくくれないので、右耳に穴を開けてくくりつける事がありました。
首級の相
首は切られた瞬間の表情がそのまま残るようで、全ての首が目を閉じた状態であるわけではない。
その為目が開いてしまっている首は目蓋(まぶた)を押して目を閉じさせる。それでも目が開いてしまう首もあり、顔の表情(相)によって、自軍にとって吉か凶なのかを見る風習がありました。
例えば、歯を食いしばり片目が開いているような表情は怨念があるとして、首祭(くびまつり)をしその祟りを払うことをしていた。
また、死後も身分が重要視され、身分によりその扱いは区別されていた。例えば大将であったり、貴人の首は供饗(くぎょう)という台に乗せられ、身分のある武士は打板(うちいた)と呼ばれるものに乗せられる。その他は鉋がついた脚のない板に乗せていました。
そしてこれらが用意出来ない場合は代用として、紙や扇が使われていたようです。
このように、死者の首に対しいろいろ作法があり、手柄になる首は大事に保管していました。しかし、雑兵のような武士ではない身分の低い首は手柄とはされない為、このような扱いを受けることはありませんでした。
まあ現在の私達からすると、怖い行いですよね。
参考:図説 日本戦陣作法事典
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