組打ち戦
武者同士が名乗り出て、一騎打ちが始まると両軍はこの戦いの邪魔をせず見守っている。
名乗り出る際には、自分の家名や名前、年齢そして戦績なんかを大声で相手方に伝える。こうして自分に挑戦してくる相手を求める。
こうした一騎打ちは、武門の誉れとされ見守る者達が邪魔立てしてはならない暗黙のルールがあった。
勝負が始まると、まず弓での騎射戦(詳しくは⇒こちら)が始まるがお互い矢が尽きるなどして勝負が付かないと、どちらかが太刀打戦、あるいは組打戦を要求するのだ。
組打戦の場合「寄れや!組まん」これが合図となりお互い馬で駆け寄り組打が始まる。この相手の要求を受けないことは恥とされいた。
馬上での組打ち戦で首を採るのは難しい為、相手を落馬させ最終的には地面で相手を組み敷いて短刀で首を掻き切るのだ。
組打ちには巧みな技が要求されたようです
この組打ち戦は必ずしも力任せに戦うのではなく、力が強い者が有利ということではなかったようだ。
馬上で甲冑をつけた組打ちにはそれ用の沢山の技や戦い方があったようで、名のある将が格下と見られる将に打たれる様子がしばしば軍記物の資料に見られる。
内田三郎家吉という人物がいた。彼は関東でその名が知られ六十人力の剛の者であった。そんな彼であるが彼を討ち取ったのは女武者の巴御前(ともえごぜん)であった。
内田三郎は巴と組打ちになった際、巴の髪を掴み首を落とそうとしが巴にあっけなく討たれ、内田三郎は卑怯者のそしりを受けたという話が残っている。
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