秀吉から学ぶ、お金の作り方。

他の武士たちと何処か違う秀吉

軍の編成 組織 役職

戦国時代になると、軍事行動を起すのに多額な銭が必要になってきまました。この国の石高は幾つでそこから算出される米の量はどれぐらいか、そこから何人を投入できて、それに対して幾ら必要なのか等の話が出てくると思わず、小難しくて文章を読むのを止めてしまいそうになります。

戦争に勝つには、とにかくにも人数が必要で、戦国大名はこういった数学的な要素にも精通してる必要があった。

数学というと大変堅苦しく、う~~んとなってしまいますが、いかにうまく金銭を儲けられるか、集められるか、という、商売センスや商人との人脈が築けるかが問われたとういことです。

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これにとても長けた人がいました。豊臣秀吉です。彼は皆さんご存知のように、武士の出ではありません。若い頃は庶民として暮らしていました。

そんな彼は、武士ではない人々の生活を肌で感じ知っていました。普通の庶民達がどうやって暮らして、どうやって生計を立てその問題点や解決策を様々な人達を見て学んで行くのでした。

これは武士に無い感覚で秀吉が武士の世界にデビューしてから、周りを出し抜く武器になっていたように思えます。晩年彼は大軍団を導入できるだけの軍事力を持っていましたが、軍の数が多ければ多い程その運営と維持は困難になり、多くの出費がかかります。

これは秀吉がいかに銭や食糧をうまく回していたかの裏づけです。

大軍団の維持に必要なノウハウなどというのは難しそうで、軍事評論家でもない管理人にはよくわかりません。しかし、秀吉は現在の私達でも出来る商売、お金の作り方を教えてくれています。

若かりしころの秀吉の商才

それは秀吉がまだ若かりし頃、信長に仕える前のおはなしです。このエピソードは確か、司馬遼太郎さんの太閤記だったような気がするのですが、違っていたらごめんなさい。

秀吉(当時は木下藤吉郎ですが、秀吉とします。)は、継父とうまく行かず家出を決意します。しかし所持金は僅かでした。そこで秀吉は考えました。

当時人気があり、流行っていた商品がありました。それは木綿針でした。秀吉は自分のお金でこれを買い、買った値よりも高い値で欲しい人に売るのです。こうすれば利益がでます。これを続けていけば、お金が途切れなくなる事に気づいたのです。

こんな事当たり前じゃん、と言われそうですが、例えば私達がお金を作る方法でする事は、大体の方がどっかの会社に雇ってもらうことで解決しますよね。しかし、雇われるのではなく、自分で会社を興したり、商売を始める人もいます。

多くの商売の基本は秀吉がやっていた簡単なカラクリなのです。

仕組み自体は簡単かもしれませんが、難しいのは、ニーズがある商品を見抜けるか、そして、それを欲しがる人間を開拓する事ができるか、又仕入れを安くする人脈を持っているか、そしてその人自身に魅力があるかどうか、これらの条件をクリアーしないと商売は成り立ちません。

こういったネットでwebを見ている方のなかには、きっとネットオークションをやった事がある方も、いるかと思います。コンピューターの時代になっても、安く仕入れて、高く売る。この商売の法則は変わっていないのです。この仕組みがわかっていても、なかなかうまくいかないのが商売です。

秀吉は、お金を増やす方法を思いつきました。しかしその方法論を実現するには、それをうまく回すための人脈作り、客に欲しいと思わせる心理術、この人からなら買ってもいいかなと思われる、キャラクターでセンスがあったのでしょう。

秀吉が信長に仕えてから、異例の出世を実現できたのも、他の武士達に無い、センスや視点、秀吉独特のキャクターが武器になっていたのだと思います。

遠い時代の戦国期の人物ですが、秀吉は現代に生きていても、きっとなんらかの方法で、成功者として大金持ちになっているような気がします。

そこで凡人の管理人は、「よし、簡単じゃん!真似しよ」と思ってしまう。しかしノウハウを知っていても、やはり商売人の嗅覚、運やセンス、人脈、人柄を持ち合わせていないとうまくいかない事を学ぶのに多くの出費をしました・・・・・。

秀吉から学べることは多いとは思いますが、彼は天才肌だったと位置づけて見たほうがいいと結論づける管理人でした。

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