当時の医療
戦場では当然負傷者が続出する。上級の将になるとお抱えの医師がいて、今でいう外科、内科専門の医師が居た。
当たり前ですが、戦は殺し合いなので誰もが容赦はありません。皆死に物狂いです。
戦場での長期的な緊張からのストレス、不規則な生活と戦闘、これらにより人間の体力の消耗から免疫力が下がり怪我も多くなり病気にもかかり安くなります。
戦場では怪我や病を治す医師が欠かせません。これは現在と同じです。
ただし医学は当時のものなので、びっくりするくらいお粗末です。怪我人、病人への対応は外科的に治療をする方法と漢方による治癒で対応していたようです。
怪我は基本的には根性論で乗り切る!というか我慢
怪我には色々なケースがありますが、武器による負傷などで、大量の出血をしたとしても、傷口に薬を塗り包帯を巻くだけで、後は回復するまで痛みを我慢するしかなかった。
しかも薬といっても、迷信的に信じられていてる薬が使用されていた為、現在の医学からみるとまったく効果がないものであるのが殆どだったようです。
例えば、モグラの黒焼、人参、甘草(漢方薬に用いる生薬の一つ)の粉末を傷口に塗る。鹿毛の馬の尿を飲むと血が止まる。びっくりするのが、女性の陰毛を焼いてその灰を油で練って塗るなんて方法もあったそうだ。
このように現代人の私達、医学の素人が見てもいかにも効き目がなさそうである。しかし当時の人々は迷信深いので医学的には効果がなくても、精神的な効果が多少はあったのかもしれない。
効き目があるといわれる薬を使った事で、これで大丈夫だろうという、錯覚といいますか思い込みですね。つまり本人の精神力、自然治癒力に頼った治療だったのです。
かすりキズぐらいならいいでしょうが、戦闘での負傷なので、骨が見えてしまうぐらい肉が裂けていたり、骨が粉々になるぐらい粉砕していたり、手足が切断されていたり等の重症には、効果が無いはずで、当時戦場での負傷により後遺症を残す者が大勢いたそうです。
当時の医療の極意は、ひたすら我慢
鉄砲が登場する前の時代、弓矢を主体に飛道具部隊が編成されていた。石等も使われていたが、基本は弓矢だ。
矢が人体に刺さり、時間が経過してしまうと、肉が鏃(やじり)を包み込んでしまうので、引き抜くのが大変だったらしい。こうした場合に使用されたのが、金鋏(かなばさみ)で、これで引き抜いていた。雑兵物語にもや矢を抜いてる様子を描いたものが載っていて、かなり痛々しい。
医学といっても当時のものは基本、精神論と人間の自然治癒力をベースにし、迷信が支配的だったため、治療というにはかなりお粗末なものであった。
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