農民、百姓が形成していた集落は今の私達の社会とそっくりです。

生き残りを懸け連合する農民。

月 桜

現在の私達は成人すると、家を離れ何らかの職に就き、個として存立します。そのまま家業を継ぐケースもありますが、殆どが家を離れ個として独立すると思います。しかしこういった光景はつい最近のことで、高度経済成長に伴ってからの話です。

農民、百姓が形成していた集落は今の私達の社会とそっくりです。

それまでは、家というのは、家族が多く主が一人が働き、家族全員を食べさせていたのです。地方から都心に出て企業に勤める、といったことは、結構最近の話しなのです。日本はよく「村社会」と呼ばれることがしばしばありますが、家同士が集まり村単位で家業や生業を営んでいたのです。

村というと、そこに自然に人があつまり集団を形成する村ではなく村自体が政治機能を果たす集合体、家と家が集まり寄り合いを形勢しその集合体が政治機能果たす村は、日本では13世紀頃からかあったようです。なんだかよく分からない説明かもしれませんね。・・・・簡単にいえば、現在の日本国の仕組みが、当時は村単位で行われていて、集落自体が国家であったと思えばいいと思います。

近代化した以前の村では、家業や生業を次代に継承するため、血縁関係以外の者も取り込んで形成している、政治機能を持っていた社会組織であったのです

運命共同体だったわけです。

中世の日本、生きること自体が大変な時代でした、個としての以前に家自体を存続させるのが非常に困難だったようです。家自体が単独で生き残ることは不可能で家と家が集まり、あるいは有力な家の庇護の下、存続を図ったいました。それだけ生き残ること自体が困難だったのです。

因み現在の私達のルーツを辿っていくと、せいぜい1688~1704年元禄時代頃までで、大半の人はそこまでたどり着かないのだそうだ。ましてや江戸時代の初期の頃までを辿れる家等はほんとに稀で村の有力者かそれ以上の限られた人だそうです。

人々は震災、紛争、慢性的な飢饉の中を生き残る為に家同士が連合を成し存続を図っていたのです。これがいわゆる「村社会」です。

高度な社会制を持っていた集落

上でも少し触れたが、自然形成される村落ではなく、政治的な機能をもった家の集合体としての村落は13世紀頃からあり、当時はこれを「惣村(そうそん)」「惣庄(そうしょう)」等と表現していたらしい。しかし、これ以前の村や村落がどういった性質を持っていたのかは、どうもまだ不明なようです。

こうした政治団体としての村は、集落単位で自分達で土地を占有していて、その集落に所属するメンバーを認定していた。このメンバーに加わる為にはその集落ごとにいろいろ条件があったようです。このメンバーに対し徴税権、法律(村のルール)、警察権を行使していて公権力として個々の私権を制約していたのだ。集落は法人として点在していました。どうですか?現在の仕組みとそっくりでしょう。

この集落を構成するメンバーで武装してある程度の軍隊を所有しています。集落存続の為に外の集落に対して発動されていました。しかもこいいった、集落を運営していく方向性はある一部の人間達で決めるのではなく、集落のメンバーが集まり寄り合いのような形で決められていたようです。

どうでしょう。ここらへんなんかは非常に民主的ですよね、イメージとして、ある有力者の一方的なリードで暴力的に支配運営されてるようなイメージがありますが、どうもそうではないようです。

こういった政治的な手段を持って、人々は存続を図ったいた。戦国時代で資産家のような家であっても、江戸が起こるまで生き残った家は殆どないようです、また戦国時代で有力であった家がそれ以前には確認できないのがほとんであって、それほど当時が生き残る事自体が困難で多くの家が姿を消していったのです。

当時の農民、百姓が形成していた集落とはこうした背景の下それぞれの家の生き残りを図る為の集落であった。

集団で事に当たる。利に叶った賢く高度な方法が昔の時代にほぼ出来上がっていたんですね。

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