飢饉に悩まされる人々
中世において、人々は集落を形成しその集まりは一つの国家として政治機能を持ち運営されていた。(詳しくは⇒)
しかし当時の日本では、慢性的な食糧不足に苦しんでいたようです。そのためちょっとした災害でたちまちに食べのが無くなり飢饉が起こり、病気が蔓延してしまうサイクルに陥っていた。
人々が抗争(戦争)を起す起爆剤がここに隠されているのだ。
災害が起こる度に、生産のために必要な資源や道具を巡って争うようになるのだ。生産に必要な物とは、農業用水や肥料等沢山あり、とにかく金と人員が必要だ。そして、生産活動にはある程度の時間を要するため一度災害が起これば、これらがすべて吹っ飛んでしまう。中世の人々は、生産に必要な用益を巡って外部の集落と度々争いを起していた。
抗争とは、もちろん武器を携帯しての殺し合いだ。これが人が人を呼び、大人数で集団的な抗争へと発展していくのです。もう立派な戦争なわけです。戦争とはなにも領主間同士の抗争に限らず農民の間でもこうした抗争が全国で繰り広げられていたようで、これが中世の日本でした。
村が村を呼び大規模化していく抗争
集落とは人々が協力し集団を形成し食べていく為に組織されてる反面、外部の集落との抗争に勝つ為に組織されたものでもあるのです。当時の農民達は日常的に武器を携帯していたようです。
農民達は自分が所属している集落の外に血縁の者や知り合い等が他の集落に所属しているケースが沢山あるが、一度抗争へと発展すると、これらの関係を無視し自分が所属する集落の為に働く、これが集落にメンバーとして所属する者の使命なのです。一度抗争へと発展すれば、身内と戦うことになる可能性もあるのです。
集落の中には、身分の上下もあり、主従関係なんかも存在していたようだ。その他にも集落には、メンバーとして認定されていないがそこで生活をする者達等多種多様の人々が存在し、集落もこのメンバー以外の人々を受け入れていたようで、メンバーとそうでない者では、集落から受けられる恩恵に差があっようですが、皆が生活、生きることを目的にこういった集落に身を寄せてくるのです。
上で少し触れましたが、もう少し村の構成についてみてみると。集落はメンバーの集まりによって構成されていて、メンバーとは家である。
このメンバー達は税金を納め労役する義務を課せられるが、そのかわりメンバーでない者たちとは、公共物や用益を優先的に使うことが出来る等の受ける待遇が差別化されていた。
それ以外の者達、メンバーでない者達も含まれていたが、集落から排除されてしまう人々もいた。集落とは生き残る為に命を落とすことをいとわない者達の一致団結した集団で、また集落もそれを強要していたのだ。
一度抗争が始まれば、とにかく人数が必要になります。集落自体も単独で戦うのではなく、他の集落に協力を要請します。普段から争いに展開した場合協力し合う約束をしているのです。それは敵方も同じです。こうしたことから、村が村を呼び大人数で抗争というかもう戦争ですね、が繰り広げられるのです。これは、中世の日本にあって日常的に起こったいました。
戦争というと領主や大名、武士だけが発端を引き起こしているかのように見えるが、実はもっと根底のところで、この農民階級で繰り広げられ、これが大規模化していったのが、国家間戦争なのです。
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