農民とは奴隷のごとき扱いだったのか?2
前回までの(農民とは奴隷なのか?)では、日本で土地の私有化が認められ、荘園が始まるまでを追って行きました。なるべく歴史の教科書見みたいにならないよう書きます。
やがて荘園制も崩壊していき、こうして領主や武士が起こっていきます。こいうった流れの行き着く先は、争いです。起因はやはり土地に行き着きます。人々は土地を巡り争うようにります。
他が所有している土地を奪い自らの財産を増やそうとする、何の不思議もない人の世の自然な流れ、人間の性です。こうした世で農民達は上級層から奴隷のように扱われていたのかというと、そうではありません。
身分制度の下層にいる農民は確かに、人の世で起こる事のとばっちりを一番に被り決して、豊かな生活ができるわけではありませんが、奴隷のような生活を強いられていたわけではありません。
農民達の知恵
農民達は個として生活を営むには、あまりに弱くすぐに外的の餌食になります。そこで彼らは、集団を形成し集落を作っていくのです、各々が集落を発展させるため、土地を耕作し集落のインフラ化を進めていきます。
さらに、集落と集落が手を結びお互いが協力し合い発展させていきます。さらに他の集落と手を結び、を繰り返し集落の連合を組織していくのです。こうして出来た集落同士での寄り合いのような関係を築き、集落の代表格の面々で話し合い、今後の方針や運営をどうして行くのかをい決め手いくのです。
こうした集落も最低限の武装や粗末な砦や要塞を築いていました。しかし彼らは、戦闘に関しては素人です。ここで登場するのが、領主なのです。
領主と農民
領主はもともと、皇族や中央貴族の2男、3男が地方に派遣され、そのままその土地に土着した者達が広大な土地を所有するようになり、自らが軍隊を組織化し大地主として、土地に君臨する者達だ。
こした者達が各地に点在していたのだ。そこで農民達は自分達の集落から収穫される成果物や通貨などを集め、領主達に上納をするかわりに自分達のボディーガードをお願いするのだ。
領主側は、上納を受ける代わりに、彼らを外的から守り、集落の発展に貢献する義務が生まれるわけである。この関係を見ると双方がお互いの利害と役割を果たす契約であることが分かる。
もちろん領主側から、脅しで俺達の傘下に入れといったケースもあったであろうが、少なくとも農民たちは、領主をある程度選ぶことが出来たのだ。
領主が愚かであれば、仕事をボイコット、最悪土地を捨て他国へ移住するのだ。領主達にとって、農民に土地を捨てられると、土地が荒廃しそこからの収益が無くなる為、大変な痛手で死活問題なのだ。
大名 領主 農民
また、沢山の領主の中からより血統のいい家が、大名と化して行く。
大名と領主の関係も、農民と領主の関係と同じである。こうして、大名、領主、農民が縦の線で繋がり、それぞれが利害を共有し役割を果たし合うことにより、国家(この場合、”日本”ということではなく、大名が統括するエリアのこと)として成り立っていたのである。
この関係の頂点に君臨する大名が人々から期待さていることは、まさに豊かな暮らしなのだ、人々を食うに困らないようする為、国内の整備、インフラ化、経済の発展、そして他国に進行しさらに、国内を富ませることを、一身に期待されているのだ。
もしこれが出来なければ、農民は土地を去り、他国へと移動してまうのだ。名だたる大名達、織田信長、武田信玄、毛利元就、数え上げれば切りが無いが、皆自分達の国民を食わせるために、苦しい戦いを続けていたのである。
農民は決して奴隷のような生活をしていたわけではない。
農民達は決して奴隷のような扱いを受けていた訳ではなく、世の中の流れに関わり、大きな影響を与えていたのである。大名が各地を転戦するためには、大きな軍を組織しなくてはならない、しかしこれを可能にするには、国内の人々がある程度の生活ができていなければ、不可能なことなのである。
身分的には下層に位置する農民ではあるが、上位に位置する人間に与える影響力は多大であったのである。
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