農民はただ摂取されるだけの弱いだけの存在ではない。
農民はヒエラルキーの中で、下位に位置し一方的に摂取される立場ではあるのですが、民衆の影響力は、国主に多大な影響を与えています。
国主、大名に位置する立場にいる人間はこの民衆にある程度支持される必要があるのです。
国内が戦場にならないように国政を安定させ防衛、または、他国へ侵攻し国内を潤わせることを期待されているのです。これができなければ農民その上にいる国人衆から見放され、国主という立場を維持することができなくなるのです。
大名は独裁的な支配力を持っているように見える中世の日本なのですが、実はそうでもなく見方によれば、非常に脆い立場なのです。
それを物語るエピソードで、武田信玄がいよいよ三河国に侵攻を始めます、この時の三河国の国主は徳川家康でした。世に言う三方ヶ原の戦いです(詳しいいきさつはこちらで)。
家康は勝ち目が無いのに、武田軍に食ってかかりました。この家康の行動には、いろいろな事情がありますが、その一つの理由として、多くの人々の目です。
家康とてまともに激突したところで、やられてしまう事は、当然考慮していたでしょう。だが出撃しました。ここで傍観すれば、家康が国主として人々に与えるイメージはどうなってしまうでしょう?
このように、国主はその行動や行いを常に、国内の人々に見られていて、彼らの支持がなければ、国営は立ち行かなくなるのです。当然国主として椅子に座ってられなくなります。
カッとして出撃したのではなく、家康は出撃せざる得なかった事情があったのです。この家康のように国主は大衆にどう見られているのかを、常に意識し客観的に自分を見ていないと、自分の席はあっという間になくなっているわけです。立場を利用した傍若無人は当時の国主クラスでもできないことなのです。一時的にはできるでしょうが、長続きしないのは、いろいろな事例から伺えます。
彼ら国の頂点に立つ人間に期待されていることは、国の豊かさと安全で、ここら辺は現在とさほど変わりはありません。三方ヶ原戦の時、家康がもし何もせず武田軍を傍観する姿勢をとっていたら、多くの勢力や集落が武田方になびいていたでしょう。
農民や国人衆は常に強い当主を支持します。
農民とはいえ、数でいえば武士よりも圧倒的に多いので大衆世論とうのが、現代の私達が考えるよりも大きな影響力を持ち、また武士階級の人々も彼らの力を借りなければその存在意義を保てなかったようです。
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