戦績の証明首級
戦後にて首実検(詳しくはこちら)のため、多くの兵が自分の戦績を誇り首を持ち帰るが、誰の首でもいいというわけではない。名も無き雑兵の首では主将との謁見も許されない。
評価の対象となる首級(くび・
その他は、身分の高い武将、兜を被るほどの士であったり、武者、上級武者、奉行クラスの将等、上級身分の士、あるいは知名度が高い人物の首などであった。雑兵の首は評価の対象とはならなかった。
首を持つ者は気を付けろ!
また追首、追付首というのがある。追首とは勝敗が決まり、逃げていく兵隊の首をとることで、追首も評価の対象にはされなかった。評価の対象にならない首は戦場にそのまま捨ててしまう、これを捨首といった。
なんともおぞましい話だが、戦場で死に物狂いで戦った証明として、武士や兵士達には、大変重要な戦績証明なのである。皆、恩賞や出世にあやかろうと必死なのです。
しかし折角勝ち軍に加わっているにもかかわらず、なんの手柄も上げられない者も出てくる。
こういった者達の中から、自分が獲ったように偽装し、首を拾って帰る者がいたり、陣中では誰それが敵将のあいつの首を獲ったそうだという話が流れてくる。その人物に近寄り何らかの形で殺してしまい、首を横取りしてしまうのだ。
戦が終わっても陣中でこういったことが横行しているため、油断はできず特に夜は警戒しなければならないありさまなのだ。
ひたすら首を狩る者
こういった、出世や恩賞とは違った価値観で首を集める者もいた。彼らは、自分がいかに強いかを誇示する為、ひたすら首狩をするのだ。
その集めた首が三十三に達すると、首塚を築き僧を呼び供養を始める。この供養を何回行ったかを競い合い、自分の強さを周りに宣伝するのだ。
戦国時代では、首を入れる袋が流行していた。戦いの際に首は邪魔になるので、首袋が重宝された。徒歩の者は腰に下げ、馬上の者は馬鞍の前方にぶら下げる形で首を持ち歩いた。
この首袋は網目になっていて布、革だと血まみれになり、なにかとよろしくないので、網目状の物が使用されていた。
ちょっと怖い話ではありますが、これが当時の風習でした。
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