三方ヶ原 信玄VS家康 魚鱗と鶴翼の謎?

なぜ家康は鶴翼を展開したのか?

戦

三方ヶ原の戦いで家康は大敗をしましたが、戦場で家康は武田軍に対して鶴翼を展開して挑みました。方や信玄は魚鱗を展開しています。

一般的に魚鱗は攻撃型、鶴翼は防御型として、認識されているようです。そもそも日本における陣形とは、戦場でのマニュアルのよなうな書物が中国から上陸しそれらを、大江 維時(おおえの これとき 平安時代の人物)という学者により編集され、方円、鋒矢、偃月などの呼び名になっていったそうです。しかしその後の多くの人物達が、これに編集や自らの想像などを加えて伝えられているため、実は正確な原型は明確になっていないそうだ。しかも、この陣形は、砦等軍が駐屯する構築物の配置なのかそれとも軍の配置図なのかも不明のようである。

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武田信玄、戦国武将としての心得を家康に叩き込む。三方ヶ原の戦い!

三方ヶ原の戦い

月 桜

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1573年(元亀3年12月22日)遠江国の敷知郡(ふちぐん、ふちのこおり)にて、家康VS信玄戦が行われます。世にいう三方ヶ原の戦いが行われた。

この戦いで徳川家康(当時、松平元康、今後家康と表記します。)は武田信玄から多大な影響をうけます。家康は大負けするも、武田軍の見事な用兵術に魅了されます。

さて、まず三方ヶ原の戦いがどのようないきさつで、展開していったのか状況を追っていきましょう。

*三方ヶ原までの経過を読むのが面倒な人は下の方に動画があるので、そちらをご覧下さい。

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