真田幸村名前の謎?なぜ幸村と呼ばれてるの?

幸村は普段は物静かで穏やかな人物だったそうです。(兄の証言)

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真田幸村さん。管理人も大好きです。小説やドラマ映画ゲーム等で引っ張りだこです。彼の最後の戦いっぷりがあまりにもかっこいい。人気がでて当然だと思います。

しかし、彼の本当の名前は若い頃は源次郎で後に信繁となっています。真田信繁が彼の正式な名前です。信繁という名は、あの武田信玄の弟にあたる武田信繁さんと同じ名前です。

幸村の父である昌幸が川名島で戦死した武田信繁の奮戦を見て、それにあやかろうと息子に信繁の名を付けたと聞いたことがあります。本当かどうかは分かりませんが。

とにもかくにも真田信繁、なぜ彼は幸村と呼ばれているのでしょうか?

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武田勝頼は愚将なのか?武田家を滅亡させた将

信玄の代ですでに信長との開きは大きかった!

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先代が優秀でその息子の代で組織を衰退させてしまう。こういった話は世の中にはとても多い。その代名詞としてよく名が挙がるのが武田勝頼です。

しかし近年武田勝頼の研究が昔より盛んになり、見直される風潮もあります。管理人も武田勝頼びいきです。果たして勝頼は愚将だったのでしょうか?

信玄の死後10年程で武田家は滅びますが、これを10年しか持たなかったのか、それとも10年も持ったのか解釈の分かれるところだと思います。

単純に信玄と勝頼の人物像のみを比較して勝頼は愚かで信玄より劣っているとする論には少し抵抗を感じますが、信玄のイメージからくる人物像と比べると勝頼がスケールダウンして見えてしまうのは否めませんし、武田家が滅亡した時の当主が勝頼であったことは、紛れもない事実です。

勝頼という一人の人間がすべての元凶だとする論はいささか乱暴でちょっと酷な話です。

武田勝頼

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武田家滅亡の原因を探るのであれば、父の代まで遡る必要もあるし、信玄の代と勝頼の代では外の状況が違う事も考慮しなくてなりません。なにより組織の中で勝頼がどういった存在であったのかを眺める必要があります。

そこで欠かせないないのが、織田信長の存在です。武田家を滅ばしたのはこの織田信長でした。武田勝頼の代で一気にひっくり返されたイメージがありますが、

国の大きさや規模で実は父の信玄の代から開き始めていました。その鍵は組織の体質の違いからくるスピードです。とういわけで勝頼の前に父親の信玄のお話から始めます。

少々長いので数回に分けて記事にします。読んでいただけると幸いです。

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敵も味方もありゃしない。陣中での盗難、殺人。

陣中であっても、気は抜けない。

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戦争状態になれば、人間のモラルなぞなくなってしまう。気をつけなければならないのは、なにも戦闘中だけではない。戦闘がなく陣中で待機していたり、休息している状態であっもボケーッとしてられないのだ。

陣中は、金目の物を所持している人間がうじゃうじゃいる。これを狙っている輩が沢山いるのだ。戦争中であっても物入りで、意外と銭を使う機会が多かった。

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陣中に集まる遊女

陣中は女人禁止?

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よく戦場では女人禁止で小姓が主人の相手をしていたという話もあるが、これは時と場合によりであり、必ずしもそうではない。

戦争中、様々な理由で戦いが停滞することが多々ある。その間陣中は緊張から一時的に開放され士気が緩む。この間に陣中には、商売をする者が訪れ詳しくは、農民、商売するのも命懸けの方で遊女も訪れる。

身分の低い者は駐屯地で強姦行為を頻繁に行っていたが、指揮官クラス上級武者達も、敵方との戦闘がないと判断すると進んで宿駅から遊女を呼び遊んでいた、また遊女達から陣中に訪れた。

戦いと女性の関係は古来より密接な関係があったのです。

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負傷者の手当て

当時の医療

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戦場では当然負傷者が続出する。上級の将になるとお抱えの医師がいて、今でいう外科、内科専門の医師が居た。

当たり前ですが、戦は殺し合いなので誰もが容赦はありません。皆死に物狂いです。

戦場での長期的な緊張からのストレス、不規則な生活と戦闘、これらにより人間の体力の消耗から免疫力が下がり怪我も多くなり病気にもかかり安くなります。

戦場では怪我や病を治す医師が欠かせません。これは現在と同じです。

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