秀吉から学ぶ、お金の作り方。

他の武士たちと何処か違う秀吉

軍の編成 組織 役職

戦国時代になると、軍事行動を起すのに多額な銭が必要になってきまました。この国の石高は幾つでそこから算出される米の量はどれぐらいか、そこから何人を投入できて、それに対して幾ら必要なのか等の話が出てくると思わず、小難しくて文章を読むのを止めてしまいそうになります。

戦争に勝つには、とにかくにも人数が必要で、戦国大名はこういった数学的な要素にも精通してる必要があった。

数学というと大変堅苦しく、う~~んとなってしまいますが、いかにうまく金銭を儲けられるか、集められるか、という、商売センスや商人との人脈が築けるかが問われたとういことです。

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これにとても長けた人がいました。豊臣秀吉です。彼は皆さんご存知のように、武士の出ではありません。若い頃は庶民として暮らしていました。

そんな彼は、武士ではない人々の生活を肌で感じ知っていました。普通の庶民達がどうやって暮らして、どうやって生計を立てその問題点や解決策を様々な人達を見て学んで行くのでした。

これは武士に無い感覚で秀吉が武士の世界にデビューしてから、周りを出し抜く武器になっていたように思えます。晩年彼は大軍団を導入できるだけの軍事力を持っていましたが、軍の数が多ければ多い程その運営と維持は困難になり、多くの出費がかかります。

これは秀吉がいかに銭や食糧をうまく回していたかの裏づけです。

大軍団の維持に必要なノウハウなどというのは難しそうで、軍事評論家でもない管理人にはよくわかりません。しかし、秀吉は現在の私達でも出来る商売、お金の作り方を教えてくれています。

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退却を成功させる為の殿(しんがり)軍、地獄の戦い。

退却は進むより難しい。

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形勢不利となり、軍が崩れ始めると、退却を余技なくされる。こうなってしまうと、皆逃げる事で頭が一杯になり、軍の様相を成さなくなる。どんな名将でも混乱に近い集団を立て直すのは至難であると言われている。勝っている側は、ここぞとばかりに襲い掛かり、雪崩のような勢いで追ってくる。

こうなる前に戦況不利となった場合登場するのが、殿(しんがり)部隊だ。殿が追ってくる敵を食い止める役を一手に引き受け自らも引きながら戦闘をする。戦場でよく言われるのが、進むより退くほうが困難であると、いろいろな書籍や昔の人の言葉として残っています。

この殿はもとより死を前提とした、兵法とは言えない無茶な行為で、突撃をするよりも勇気がいる役割です。他の部隊が戦場を離脱するまで、留まり孤軍奮闘しなければならず、しかも少数の部隊で行うのが一般的だったようです。

しかし、本体を逃がし、自らも生還すれば、この上無い功績として評価されたそうです。

こういった自らが犠牲となり、味方を逃がす行為は、美談になりやすく物語りのネタに使われやすいですよね。負傷した者を介抱しながら、敵中を突破する武勇伝的な話も沢山ありますが、実際はそんな華麗な事ばかりではなかったようです。

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乱世で活躍した馬と現在の競争馬はちょっと違う。昔の馬は、ポニーちゃん風

少々イメージダウンかもしれないが、乱世の軍馬は足が短い

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中世期に使用されていた馬は、現在の競争馬のような、脚が長くスレンダーな馬ではなく、ポニーちゃんに近い体格だったことは、よく知られる事となりました。

戦記物のイラストや映像では、現在のスレンダーな競争馬のような体格の馬に乗っている将が描かれています。これは演出的に見栄えがいいのでこうしているようです。

当時実際に使用されていた馬は、もっとどっしりしていて、脚は短く太い。スピードも現在の競争馬に比べるとかなり遅かったようだ。

その代わり、馬力が現在の馬を凌駕していた。現在の競争馬はレースをする為に飼育され、平らな地面を直線的に走る能力には優れている。

中世期の軍馬

乱世の頃に武士が乗っていた馬は現在と同じく飼育され、面倒を見る人間がいたが、その飼育されている場所は広大でほぼ放し飼いに近い状態だったようで、高低差のある自然地形で飼われている為、足腰が強靭だったようです。

源平争覇期の頃、あるいは、それ以前の時代では、馬は基本戦場で活躍してもらう存在で、戦場に到着するまでは、なるべく温存して大事に扱われていた。

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日本人って盾を使わないの?(鉄砲登場前の時代)

日本の武士に楯のイメージがない?

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日本の合戦シーンなんかで、日本人が楯を持って戦うイメージって、皆さんあんまり持っていらっしゃらないのではないでしょうか?管理人の憶測で申し訳ないのですが、間違ってたらごめんなさい。

海外映画の合戦シーンには、よく弓矢の打ち合いから合戦が始まりますが、これは日本も同じです。鉄砲が登場すると楯の様相は少し変わりますが、弓矢等飛び道具を防ぐ為日本でも楯が用いられていました。

合戦は軍の主将あるいは代表者が敵陣に、鏑矢(かぶらや 詳しくは)を打ち込みます。これが合戦を始める合図となり、両軍の矢の打ち合いが始まるわけです。

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昔の書記役。右筆(ゆうひつ) 結構ヘビーな仕事です。

武家の書記係り 右筆

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現在の私達が昔の人間の様子を伺い知ることの出来るものの一つとして、古文書などの文章が残っている為です。昔の武家には必ず書記役を設け物書きが存在していました。

他国との交渉の際に使われる、いわゆる公文書を書く係りだ。彼らを右筆(ゆうひつ)と呼んでいた。

当時の書状の殆どは、この右筆達に書かれたもので、主君は花押(かおう。今でいう印鑑、サインの事。)を書くだけだ。

鎌倉時代までは右筆を執筆、手書、物書と呼んでいたようです。安土桃山時代辺りから、右筆、祐筆と呼ぶようになった。

昔の誰それの書状だとかを、教科書や写真等で目にした事があると思いますが、上にも書いたようにその本人の直筆とは限らず、特に他国とのなんらかの交渉に使われた公文書は、ほぼ右筆が書いた物なのです。

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忍者として現在では知られる人々。影で暗躍する者達 2

裏稼業のプロ忍びの者

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忍者として現在では知られる人々。影で暗躍する者達 1の記事の続きです。前回は忍びの者の職種、「物見」と「奸(かまり)」についてお話しました。

今回は私達のイメージする忍者に、より近い部分のお話です。

前回でも少し触れましたが、忍びの者は乱波(らっぱ),透波(すっぱ),突波(とっぱ)等と呼ばれていたが、これは忍びの役、奸(かまり)、物見等の役をこなす連中の総称で、地域や勢力によって呼び名が違うだけです。

伊賀忍者、甲賀忍者といえば誰もが聞いた事がある響きだと思いますが、こういった忍びの術に長けた勢力があり、信州にも戸隠(とがくし)、紀州には根来(ねごろ)等の勢力が点在していた。

しかしこういった集団からではなく、いわゆる野武士等、普段山賊海賊、強盗等を生業にしている連中を雇う事も多かった。前回説明した奸に当たる人達だ。

こういった連中は土地に縛られる事も無く、自由に行動しいている為、地理にも明るく、時勢の情報に詳しく独自の情報網を持っていた。

敵の撹乱、殺し、闇討ち、奇襲攻撃等、武士には出来ない芸当を可能にするのだ。この連中を味方にできれば、敵国での地理の不安を克服できたり、敵情を詳しく知ることが出来る等の恩恵に預かれるのだ。

「甲陽軍艦」ではこれらの者を突波(とっぱ)と記している。

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忍者として現在では知られる人々。影で暗躍する者達 1

忍者とは?その仕事っぷりを紹介します。

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忍者は現在では知らない人はいないでしょう。海外でも忍者は人気があるそうですね。一般的に服部半蔵や風魔一族なんかの名を上げれば、なんとなくどんな仕事をしていたのか、想像しやすいと思います。

現在では忍者と呼ばれていますが、当時は忍びの者、奸(かまり)、乱波(らっぱ),透波(すっぱ),突波(とっぱ)等と呼ばれていて、呼び方は地方や勢力によってまちまちだ。

また忍者としてひとくくりにして、連想してしまうが、それぞれ担う役割は沢山あり、そう単純なものではない。

しかし表向きにはこれらを生業にする者を用いることは、武士達は潔良としない事になっているが、実際はどの勢力も彼ら忍びの者を積極的に用いていた。彼らなくして、乱世を生き残ることは出来なかった。

さて具体的に彼ら忍びの者がどんな仕事をしていたのか、ご紹介します。

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