戦場の高みの見物。それはお気楽な傍観ではなく農民、百姓のしたたかな計算がある。

戦場の行く末を監視する農民、百姓

月 桜

戦争が起こると、農民、百姓は、城上り(詳しくは)、山上り(詳しくは)といった方法で非難をするが、その後このもの達が山や高台から気楽に戦争見物を決め込んでいるといった話を聞いたことがありませんか?

確かに昔の書物等にこのような光景を描いているものがあります。しかしこれは少し楽観的な見方であるようでしす。

彼ら非戦闘員は非難した後戦争を傍観しています。しかしその避難場所を敵軍に知られると、戦闘がひと段落した時点で敵軍が襲撃してくる可能性を十分に秘めているので、決して気楽な見物といったわけではなかったようです。

農民の避難と仕返し

集落の側に領主の城や砦がない場合、非戦闘員は山に逃げ込み普段からある程度の防衛が出来る準備をしていました。これは隠れるといった意味と、いざという時の防衛の為の処置です。彼ら彼女らは武士ではありませんし、なにより大事なのは自分達の安全です。そのため武士のような誰それに一生ついていきます的な主従の感情は極めて低いのだ。

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百姓、農民が戦争被害を避けるために取ったしたたかな方法(半手、半納、風見鶏偏)

どっちつかずの方法、半手、半納

月 桜

よく歴史物の小説やドラマ等で、○○村に火を放ち退却!といったシーンを見かけたことありませんか?自勢力化の村や集落をわざわざ燃やしてしまうのです。

管理人が製作したもので恐縮なのですが、三方ヶ原の戦(詳しくは)いの動画内でも、徳川方が遠江の見附集落に火を放ち退却といったシーンが出てきます。これは、武田方が見府周辺に迫ってきた時、徳川方はその周辺に偵察隊を出していました。当時見附は家康の管轄する領土の一部でした。わざわざそこを燃やしてしまうわけです。どうして?と疑問に思う方もおられると思います。

三方ヶ原の戦い

これはですね、敵方に集落を占領されてしまうと、略奪が始まり、年貢の徴税権をも奪われてしまうからなんです。

敵方を潤わしてしまうからなんですね。敵方に米、麦、馬、人等々、戦力になりうるものを提供してしまうなら、燃やしてしまえという事なんです。焼け野原となった集落からは何も取れなくなります。乱世の世にあっては、こういったケースが往々に行われていたようです。

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戦国武将達の残したありがた~い言葉。でもなかなか真似できないよねの言葉。(北条氏綱偏)

戦国の名将、北条氏綱の言葉

軍の編成 組織 役職

北条氏綱という方をご存知だろうか?この方は、あの北条早雲の後を継ぎ北条家を拡大させた戦国の名将です。彼の名将ぶりを紹介し出すと膨大な文字数になってしまうので、この記事では控え又別の機会で紹介したいと思いますが、とにかく彼は名将です。

北条氏綱さんは、その後氏康に当主の座を譲り引退します。

小田原城

 

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「刀狩じゃ~」(岡村 隆史口調)。乱世の終焉。戦争の無い日本を成立させる為秀吉は何をしたのか?

戦場の閉鎖。それは稼ぎ場がなくなる事。

月 桜

秀吉の刀狩の令。これは学校の教科書でも出てくる秀吉が作った有名な法令です。さてこの法なんて教わりました?おそらく、全国の人々の武装を解体し再び国内が乱世に逆戻りし豊臣政権を打倒するような勢力を封じ込める・・・・といったような教わり方をしませんでしたか?

まあこれは間違えではないし合っているといえば合っていると思います。この法令が敷かれたのは、秀吉が政権を開き日本平定事業の一環で敷かれた法で、秀吉はこのほかにも沢山の法令を発行しています。政権転覆を目論む勢力を封じ込めるといった以前に時代の変わり目に起こる大きな歪、これが豊臣政権の大きな課題で、戦争がない世の中をどう成立させるのかといった事が秀吉の課題でした。

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兵隊を兼業していた農民、みんな武士に成りたかったのか?2

久々の大戦!大阪の陣

月 桜

前回記事の続きです。前回農民は食うに困り職を求めて戦場に出稼ぎに出、秀吉の全国平定により戦争が激減したところまでを書かせていただきました。

今回は時は流れ、家康が幕府を開きいよいよ豊臣を滅ぼそうと動き出した頃のお話です。この時代になっても戦場はやはり百姓にとっては魅力的な働き場所であった。当時いよいよ大きな戦が始まるぞと全国が浮き足立っていて、農民や百姓達はその動向を伺っていた。後の大阪の陣である。

大阪城

百姓達にとって、関東軍も豊臣も関係ない。職を募集しているのであれば、そこに向かうまでなのだ。戦争があれば農繁期であろうが、土地を離れ出稼ぎに向かおうと考える者達が多く居た。

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兵隊を兼業していた農民、みんな武士に成りたかったのか?1

戦場に出稼ぎする農民

月 桜

戦国の世で大出世を果たしたのが豊臣秀吉であった。世の中が下克上であったのは確かだ。百姓が出世を目指し田畑、家を捨て奉公を目指し旅立って行く・・・当時の若い農民や百姓になんとなくこんなイメージがりませんか?

きっと当時の若者にもこういった人達は沢山いたでしょう。現在の人間だって都会に出て一旗上げようと思う人が居るのと同じだと思います。

農民の避難と仕返し

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こいった若者が純粋に成功したいと願い、奉公を目指し戦場に出稼ぎに行く夢いっぱいのお話ではないのが、当時の現実だったようです。農民達は農耕だけでは、生計が成り立たず兵隊を兼業していたとの見方の方が正確なようです。食糧、金銭のやりくりが在の私達が想像するより遥かに厳しかったようだ。

中世の日本での兵役はどの国でも、戦争があれば発動される法であって、農村の人間が強制で徴収される。一般的なイメージで泣き叫ぶ嫁や子をなだめ、悲壮感漂う中で戦場に向かう画が浮かんできます。もちろんこういった想像は間違っていないでしょう。家の働き手を戦場に連れていかれてしまうわけですから。

しかし現実は農耕の営みだけでは、とてもとても家族を養いきれないので進んで戦場に出稼ぎに行く者達も多かったのも当時の現実だったようです。

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農民が繰り広げる抗争、これが国家間戦争のトリガーとなる。

飢饉に悩まされる人々

月 桜

中世において、人々は集落を形成しその集まりは一つの国家として政治機能を持ち運営されていた。(詳しくは)

農民の抗争

しかし当時の日本では、慢性的な食糧不足に苦しんでいたようです。そのためちょっとした災害でたちまちに食べのが無くなり飢饉が起こり、病気が蔓延してしまうサイクルに陥っていた。

人々が抗争(戦争)を起す起爆剤がここに隠されているのだ。

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