北条氏康、死線を潜り抜け関東の雄へと飛躍する。河越夜戦!

北条氏康の名采配。

軍の編成 組織 役職

世に言う河越夜戦(かわごえよいくさ)少数の部隊で大群を破る話しは古今東西にあり、それらはどれも胸を熱くさせられます。

北条氏康_01

日本の戦史においてもこういった話は少なくない。けれども、いわゆる戦国時代になると、番狂わせ的な展開は殆ど無くなります。当時の日本全体の戦争の数から比べると小数が大部隊を破る戦いはそう多くありません。戦争はその行為に至る前の国の規模やどれだけ多くの人間を掻き集められ、どれだけ多くの食べ物、物資を準備できるかで、その形勢がおおかた決まってしまうようです。

その数少ない戦いの内の一つをやってのけたのが北条氏康さんでした。楠木正成や源義経等の天才軍人に匹敵する名采配を北条氏康さんは河越夜戦で見せてくれます。

河越城は現在の埼玉県川越市にあった城で、名将太田 道灌(おおた どうかん)が築いた関東の重要拠点でありまた。この河越城は北条氏康の父である氏綱が古河公方、山内上杉と扇谷上杉が仲たがいになり争っている混乱に乗じて、武蔵国に侵攻し江戸城を落とし次いで扇谷上杉朝定の居城である河越城を落とした事により北条家の勢力に組み込まれていました。

続きを読む

武田信玄、戦国武将としての心得を家康に叩き込む。三方ヶ原の戦い!

三方ヶ原の戦い

月 桜

HD_A_02

スポンサーリンク

1573年(元亀3年12月22日)遠江国の敷知郡(ふちぐん、ふちのこおり)にて、家康VS信玄戦が行われます。世にいう三方ヶ原の戦いが行われた。

この戦いで徳川家康(当時、松平元康、今後家康と表記します。)は武田信玄から多大な影響をうけます。家康は大負けするも、武田軍の見事な用兵術に魅了されます。

さて、まず三方ヶ原の戦いがどのようないきさつで、展開していったのか状況を追っていきましょう。

*三方ヶ原までの経過を読むのが面倒な人は下の方に動画があるので、そちらをご覧下さい。

続きを読む