「出陣じゃ~!」の前にどうやって人を沢山集めていたの?

出陣の前に人員集め

軍の編成 組織 役職

「出陣!」と号令がかかり、城の大手門から部隊が出発するシーンを時代劇でよくみかけます。

さて、こういった大部隊が編成されるまでには、農村や城周辺に住む者達を沢山集めなくてなりません。この過程はドラマ等ではストーリー上どうでもいいシーンなので、端折られてしまいす。

城にいる首脳陣達が他国への侵攻の決意がまとまったり、他国が侵攻してきた際に人員を召集しますがその過程をご紹介します。

戦争に発展するケースは様々で、敵国へ侵攻、敵国から攻めて来る以外にも、同盟国からの要請であったり、朝廷、幕府からの要請といった感じで、いつ何時軍を編成しなければならない状況が訪れるかわかりません。

事いたってこのよな状況になると、あらかじめ決めている合図があり、太古を鳴らしたり、鐘を鳴らしたりするのだ。すると城付近に在住している臣下や農村から人員が徴収されます。

「出陣じゃ~!」の前にどうやって人を沢山集めていたの?

しかし距離が遠い場合は早馬を飛ばし口頭、あるいは書面でもって伝達をしていました。

少々余談になりますが、甲州武田軍はこの伝達を狼煙を使って各方面に伝達していました。この方法は早馬を飛ばすよりも早く遠くへ情報を伝えられ、武田軍は大変優れたシステムを構築していた。

早馬の伝達をする際はタイムラグを防ぐためあらかじめそれを計算して早馬を出し、急な召集でも対応可能な状態を常に保ち、連絡を受けた者は部下を連れ陣所に駆けつけるのだ。

郎党等の部下を持つものは、いわゆる武士クラスの人間で、戦国時代では身分の高い武士は通常城周辺に住居を構えていて、素早く状況に対応できるような工夫が成されていた。

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武士達の首級の扱い

首級に付けられる札

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首実検(詳しくは)や首級(詳しくは)の記事で戦後の死者への扱い、作法や儀式を書かせていただきましたが、これらの風習には、他の国には見られない日本独特の作法が多く存在し、武士ならではの作法だ。

首級2(詳しくは)の記事でも少しふれましたが、敵将の首の扱いをもう少し掘り下げて紹介したいと思います。

武士達は戦後、自分の手柄を敵将の首とし主将の元に持参します。

これを首実検といい主将が敵方の討ち取られた将を確認したり、自軍の将の手柄の度合いを評価する場が設けられていました。この首実検を行うまでの期間、将達はそれぞれ首を保管します。

保管する際、首の血や泥を荒い流し綺麗な状態にして、首札(くびふだ)と呼ばれる板をつけて保管しました。その札には、その個人が特定できる名やその人物の行為等が記された。

武士達の首級の扱い

この首札は髪の毛にくくりつけられるのだが、入道首には髪にくくれないので、右耳に穴を開けてくくりつける事がありました。

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陣中で乱暴狼藉を禁止する制札。これには何の意味もない。

横行する、乱暴狼藉、略奪

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戦時下において、戦場となった土地では、略奪(詳しくは)が横行する。武士でない者には、戦争に参加した所で、相当な活躍が無い限りなにか恩賞があるわけでもない。その為武士でない兵隊達にとっては現地での略奪こそが、主な収入原であった

これは、何も特別なことではなく、何処の軍もこうやって下級兵達を養っていたのです。下級兵とは農民でその中に夫丸や陣人(詳しくは)そして足軽などに配属されている者達、その他には戦争を生業にして戦場があるところに出向く傭兵のような連中が主だったメンバーでした。

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平将門が率いた伴類と従類。

平将門が率いる集団

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今回は少し古い平安時代、まだ武士団という言葉が使われる前の話です。

この平安時代での象徴的な人物の一人が平将門でしょう。将門が率いた戦う集団も、使う兵器や集団の組織編制の多少の違いはあるにせよ、騎馬と歩兵で構成されていました。この辺りは後世の軍と変わりはありません。

将門の乱を記した「将門記」には、伴類という言葉がでてきます。

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退却を成功させる為の殿(しんがり)軍、地獄の戦い。

退却は進むより難しい。

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形勢不利となり、軍が崩れ始めると、退却を余技なくされる。こうなってしまうと、皆逃げる事で頭が一杯になり、軍の様相を成さなくなる。どんな名将でも混乱に近い集団を立て直すのは至難であると言われている。勝っている側は、ここぞとばかりに襲い掛かり、雪崩のような勢いで追ってくる。

こうなる前に戦況不利となった場合登場するのが、殿(しんがり)部隊だ。殿が追ってくる敵を食い止める役を一手に引き受け自らも引きながら戦闘をする。戦場でよく言われるのが、進むより退くほうが困難であると、いろいろな書籍や昔の人の言葉として残っています。

この殿はもとより死を前提とした、兵法とは言えない無茶な行為で、突撃をするよりも勇気がいる役割です。他の部隊が戦場を離脱するまで、留まり孤軍奮闘しなければならず、しかも少数の部隊で行うのが一般的だったようです。

しかし、本体を逃がし、自らも生還すれば、この上無い功績として評価されたそうです。

こういった自らが犠牲となり、味方を逃がす行為は、美談になりやすく物語りのネタに使われやすいですよね。負傷した者を介抱しながら、敵中を突破する武勇伝的な話も沢山ありますが、実際はそんな華麗な事ばかりではなかったようです。

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乱世で活躍した馬と現在の競争馬はちょっと違う。昔の馬は、ポニーちゃん風

少々イメージダウンかもしれないが、乱世の軍馬は足が短い

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中世期に使用されていた馬は、現在の競争馬のような、脚が長くスレンダーな馬ではなく、ポニーちゃんに近い体格だったことは、よく知られる事となりました。

戦記物のイラストや映像では、現在のスレンダーな競争馬のような体格の馬に乗っている将が描かれています。これは演出的に見栄えがいいのでこうしているようです。

当時実際に使用されていた馬は、もっとどっしりしていて、脚は短く太い。スピードも現在の競争馬に比べるとかなり遅かったようだ。

その代わり、馬力が現在の馬を凌駕していた。現在の競争馬はレースをする為に飼育され、平らな地面を直線的に走る能力には優れている。

中世期の軍馬

乱世の頃に武士が乗っていた馬は現在と同じく飼育され、面倒を見る人間がいたが、その飼育されている場所は広大でほぼ放し飼いに近い状態だったようで、高低差のある自然地形で飼われている為、足腰が強靭だったようです。

源平争覇期の頃、あるいは、それ以前の時代では、馬は基本戦場で活躍してもらう存在で、戦場に到着するまでは、なるべく温存して大事に扱われていた。

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日本人って盾を使わないの?(鉄砲登場前の時代)

日本の武士に楯のイメージがない?

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日本の合戦シーンなんかで、日本人が楯を持って戦うイメージって、皆さんあんまり持っていらっしゃらないのではないでしょうか?管理人の憶測で申し訳ないのですが、間違ってたらごめんなさい。

海外映画の合戦シーンには、よく弓矢の打ち合いから合戦が始まりますが、これは日本も同じです。鉄砲が登場すると楯の様相は少し変わりますが、弓矢等飛び道具を防ぐ為日本でも楯が用いられていました。

合戦は軍の主将あるいは代表者が敵陣に、鏑矢(かぶらや 詳しくは)を打ち込みます。これが合戦を始める合図となり、両軍の矢の打ち合いが始まるわけです。

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