昔の書記役。右筆(ゆうひつ) 結構ヘビーな仕事です。

武家の書記係り 右筆

軍の編成 組織 役職

現在の私達が昔の人間の様子を伺い知ることの出来るものの一つとして、古文書などの文章が残っている為です。昔の武家には必ず書記役を設け物書きが存在していました。

他国との交渉の際に使われる、いわゆる公文書を書く係りだ。彼らを右筆(ゆうひつ)と呼んでいた。

当時の書状の殆どは、この右筆達に書かれたもので、主君は花押(かおう。今でいう印鑑、サインの事。)を書くだけだ。

鎌倉時代までは右筆を執筆、手書、物書と呼んでいたようです。安土桃山時代辺りから、右筆、祐筆と呼ぶようになった。

昔の誰それの書状だとかを、教科書や写真等で目にした事があると思いますが、上にも書いたようにその本人の直筆とは限らず、特に他国とのなんらかの交渉に使われた公文書は、ほぼ右筆が書いた物なのです。

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忍者として現在では知られる人々。影で暗躍する者達 2

裏稼業のプロ忍びの者

軍の編成 組織 役職

忍者として現在では知られる人々。影で暗躍する者達 1の記事の続きです。前回は忍びの者の職種、「物見」と「奸(かまり)」についてお話しました。

今回は私達のイメージする忍者に、より近い部分のお話です。

前回でも少し触れましたが、忍びの者は乱波(らっぱ),透波(すっぱ),突波(とっぱ)等と呼ばれていたが、これは忍びの役、奸(かまり)、物見等の役をこなす連中の総称で、地域や勢力によって呼び名が違うだけです。

伊賀忍者、甲賀忍者といえば誰もが聞いた事がある響きだと思いますが、こういった忍びの術に長けた勢力があり、信州にも戸隠(とがくし)、紀州には根来(ねごろ)等の勢力が点在していた。

しかしこういった集団からではなく、いわゆる野武士等、普段山賊海賊、強盗等を生業にしている連中を雇う事も多かった。前回説明した奸に当たる人達だ。

こういった連中は土地に縛られる事も無く、自由に行動しいている為、地理にも明るく、時勢の情報に詳しく独自の情報網を持っていた。

敵の撹乱、殺し、闇討ち、奇襲攻撃等、武士には出来ない芸当を可能にするのだ。この連中を味方にできれば、敵国での地理の不安を克服できたり、敵情を詳しく知ることが出来る等の恩恵に預かれるのだ。

「甲陽軍艦」ではこれらの者を突波(とっぱ)と記している。

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忍者として現在では知られる人々。影で暗躍する者達 1

忍者とは?その仕事っぷりを紹介します。

軍の編成 組織 役職

忍者は現在では知らない人はいないでしょう。海外でも忍者は人気があるそうですね。一般的に服部半蔵や風魔一族なんかの名を上げれば、なんとなくどんな仕事をしていたのか、想像しやすいと思います。

現在では忍者と呼ばれていますが、当時は忍びの者、奸(かまり)、乱波(らっぱ),透波(すっぱ),突波(とっぱ)等と呼ばれていて、呼び方は地方や勢力によってまちまちだ。

また忍者としてひとくくりにして、連想してしまうが、それぞれ担う役割は沢山あり、そう単純なものではない。

しかし表向きにはこれらを生業にする者を用いることは、武士達は潔良としない事になっているが、実際はどの勢力も彼ら忍びの者を積極的に用いていた。彼らなくして、乱世を生き残ることは出来なかった。

さて具体的に彼ら忍びの者がどんな仕事をしていたのか、ご紹介します。

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刀での戦い。太刀打戦

斬り合い太刀打戦

軍の編成 組織 役職

武者同士の一騎打ち。騎射戦(詳しくは)で勝負がつかないと、どちらかが刀を抜き太刀打ち戦を要求するか、組打ち戦(詳しくは)を要求します。この要求を受けることが、武士の流儀であった。

太刀打ち戦は騎射戦とは逆に相手を右側で受けなくてはならない、相手を左側に受けてしまうと戦いづらいからだ。しかし主人の形勢が悪くなると、郎党が助けに入ってきます。

こうなると相手方も飛び出してきて、乱戦へと展開するのです。こうなってしまうと潔さは無視され一騎打ちの形は崩れます。なので一騎打ちでは、乱戦になる前に相手を仕留める必要がありました。

乱戦になると主人は郎党を守り、郎党は主人を守る形で戦いが展開され、郎党の数が多いほうが有利になります。また太刀で戦闘をする場合は騎馬より徒歩のほうが有利で戦い安すかったようです。

そのため騎馬武者は馬でスピードを出し相手方に近づき矢を放つ戦い方がスタンダードだった。古い時代の弓はさほど距離が出る物ではない上に遠くから相手を射ることを卑怯とする風潮があったそうです。

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獄門や斬首。勝者側のこわ~い仕打ち

斬首そして晒し首 獄門

軍の編成 組織 役職

首実検が終わると、その首級の扱い方は勝者側の主観に委ねられる。

ある程度の礼儀や人としての良心、主将としての器量が計られる場面ではあるが、戦争に至るまでの経緯や勝ちを獲得するまでの犠牲や出費等で相手に対する憎しみは計り知れない。

首級は名のある将である場合、稀に敵国に送り返したりもするが、その殆どは捨てられたり、晒し首にされていた。勝者側の主観論で敗者の首級は大逆罪とし晒される。

それを獄門と呼んでいた。

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源平合戦期の一騎打ち(騎射戦)

一騎打ち

軍の編成 組織 役職

騎馬武者といえば武士の象徴的な姿ですが、源平合戦期から鎌倉にかけて武士の花形の武器は弓であった。馬上で弓を討って相手を射抜くのだ。

現在でも残っている流鏑馬(やぶさめ)は武士達が弓の訓練をする為に行なわれていた。又狩などでも腕を競ったり訓練を兼ねて行われていたようです。

さて戦場では、騎馬武者は大声で名乗りを挙げ自分の相手を探し、それに答えてた者同士で、名乗り合い一騎打ちの形で勝負が始まる。

源平争覇期の一騎打ち(騎射戦)

源平争覇期から鎌倉にかけては、まだ優雅といいますか、武士の勝負という事に深いこだわりと戦いを儀式化し美化する風潮があったようだ。

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戦いを始めるぞ!矢合わせの鏑始め

戦いの前の儀式

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よく映画やテレビでみたことがあるかも知れませんが。お互いの軍が着陣し向かい合うと、代表者が躍り出て降伏か和睦か等、大声で話し合う。

お互い無益な戦いだ判断すると、ここで軍を撤収することもある。こういった光景は源平争覇期の書物によく見られる。

この大声での話し合いの末、交渉決裂となると主将か代表者が戦闘開始の合図として、敵陣に矢を打ち込む。これを矢合(やあわ)せの鏑始(かぶらはじ)めと呼んでいた。

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