正子公也氏デザイン 豊臣秀吉。凄い兜だよね。

不思議な男、豊臣秀吉

軍の編成 組織 役職

正子公也氏デザインによる豊臣秀吉のフィギュアです。

しかしスゲー兜被ってますよね~。

秀吉のこの兜は一発で秀吉だと分かる象徴で秀吉の人格をとてもよく表現しているよに思えませんか?秀吉の生涯は皆さんご存知の通り、貧農から異例の出世を遂げた男です。

武田信玄、徳川家康、織田信長、等の沢山の将がいますが、この秀吉はどの人物にも該当しない不思議な魅力を持った男でした。

毛利家の外交を担当していた安国寺 恵瓊は秀吉を「さりとてはの者」と語っています。不思議なとか、切れ者だといった意味でしょう。

この「不思議な」、が秀吉の特徴なのでしょう。他の武家産まれの生粋の武士とは明らかに違う何かが彼の魅力だったようです。

秀吉に会うと、取り込まれる。

秀吉は人を取り込むのに、非常に長けていたようで、出会う人間を自分に協力させるよう誘導しいつの間にか取り込んでしまうのだ。異例の出世を遂げて行く過程でこの秀吉の魅力は協力な武器になった。

数多くの秀吉軍団への勧誘行為の中で、凄いのが、石川数正の引き抜きだ。この石川数正さんは、徳川家康の重臣です。家康が若い頃から苦楽を共にしてきた男で家康からの信頼も厚く、徳川軍の内部事情に精通していて軍の事情を詳しく把握していた。

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正子公也氏デザイン 織田信長。 そして、鉄砲と火薬のお話。

正子公也氏デザインによるフィギュア 織田信長

軍の編成 組織 役職

正子公也氏という方をご存知の方は多いと思いますが、素晴らしいイラストレーターです。その方がデザインされた、織田信長です。知らない方はこちらのHPで

このシリーズのフィギュアがかっこいいのです。手が込んでますね。シルエットも素敵です。

さて、この織田信長さん、今更説明するまでも無く彼の生涯については皆さんご存知でしょう。

このフィギュアの信長、鉄砲を担いでポーズを決めていますが、やはり信長といえば、鉄砲を連想させますよね。武田軍を鉄砲隊で粉砕した話は学校でも習うはずです。

しかし、武田軍を鉄砲隊で負かしたとする説明は非常に短絡的で正確ではありません、学校の教科書がこれでいいのか?と腹が立つ管理人ですが、長篠の戦いついてはここでは省きます。また別記事で。

ここで、軽く鉄砲と織田信長とキリスト教について触れたいとおもいます。

織田信長はキリスト教徒になりたかったのか?

鉄砲を日本に持ち込んだのは、ポルトガル人です。(ポルトガル人じゃないとの論説をされている方もいるようです。まあ諸説あるようですね。)

その際多くのキリスト教宣教師達が日本に上陸してきます。日本にキリスト教を広める為の交渉用の道具として、いろいろな物を日本に持ち込みました。(この日本でのキリスト教布教活動には、イエズス会の壮大な計画があり、単なる布教活動ではないのです。これも、また別記事で。)

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戦場の高みの見物。それはお気楽な傍観ではなく農民、百姓のしたたかな計算がある。

戦場の行く末を監視する農民、百姓

月 桜

戦争が起こると、農民、百姓は、城上り(詳しくは)、山上り(詳しくは)といった方法で非難をするが、その後このもの達が山や高台から気楽に戦争見物を決め込んでいるといった話を聞いたことがありませんか?

確かに昔の書物等にこのような光景を描いているものがあります。しかしこれは少し楽観的な見方であるようでしす。

彼ら非戦闘員は非難した後戦争を傍観しています。しかしその避難場所を敵軍に知られると、戦闘がひと段落した時点で敵軍が襲撃してくる可能性を十分に秘めているので、決して気楽な見物といったわけではなかったようです。

農民の避難と仕返し

集落の側に領主の城や砦がない場合、非戦闘員は山に逃げ込み普段からある程度の防衛が出来る準備をしていました。これは隠れるといった意味と、いざという時の防衛の為の処置です。彼ら彼女らは武士ではありませんし、なにより大事なのは自分達の安全です。そのため武士のような誰それに一生ついていきます的な主従の感情は極めて低いのだ。

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百姓、農民が戦争被害を避けるために取ったしたたかな方法(半手、半納、風見鶏偏)

どっちつかずの方法、半手、半納

月 桜

よく歴史物の小説やドラマ等で、○○村に火を放ち退却!といったシーンを見かけたことありませんか?自勢力化の村や集落をわざわざ燃やしてしまうのです。

管理人が製作したもので恐縮なのですが、三方ヶ原の戦(詳しくは)いの動画内でも、徳川方が遠江の見附集落に火を放ち退却といったシーンが出てきます。これは、武田方が見府周辺に迫ってきた時、徳川方はその周辺に偵察隊を出していました。当時見附は家康の管轄する領土の一部でした。わざわざそこを燃やしてしまうわけです。どうして?と疑問に思う方もおられると思います。

三方ヶ原の戦い

これはですね、敵方に集落を占領されてしまうと、略奪が始まり、年貢の徴税権をも奪われてしまうからなんです。

敵方を潤わしてしまうからなんですね。敵方に米、麦、馬、人等々、戦力になりうるものを提供してしまうなら、燃やしてしまえという事なんです。焼け野原となった集落からは何も取れなくなります。乱世の世にあっては、こういったケースが往々に行われていたようです。

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戦国武将達の残したありがた~い言葉。でもなかなか真似できないよねの言葉。(北条氏綱偏)

戦国の名将、北条氏綱の言葉

軍の編成 組織 役職

北条氏綱という方をご存知だろうか?この方は、あの北条早雲の後を継ぎ北条家を拡大させた戦国の名将です。彼の名将ぶりを紹介し出すと膨大な文字数になってしまうので、この記事では控え又別の機会で紹介したいと思いますが、とにかく彼は名将です。

北条氏綱さんは、その後氏康に当主の座を譲り引退します。

小田原城

 

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「刀狩じゃ~」(岡村 隆史口調)。乱世の終焉。戦争の無い日本を成立させる為秀吉は何をしたのか?

戦場の閉鎖。それは稼ぎ場がなくなる事。

月 桜

秀吉の刀狩の令。これは学校の教科書でも出てくる秀吉が作った有名な法令です。さてこの法なんて教わりました?おそらく、全国の人々の武装を解体し再び国内が乱世に逆戻りし豊臣政権を打倒するような勢力を封じ込める・・・・といったような教わり方をしませんでしたか?

まあこれは間違えではないし合っているといえば合っていると思います。この法令が敷かれたのは、秀吉が政権を開き日本平定事業の一環で敷かれた法で、秀吉はこのほかにも沢山の法令を発行しています。政権転覆を目論む勢力を封じ込めるといった以前に時代の変わり目に起こる大きな歪、これが豊臣政権の大きな課題で、戦争がない世の中をどう成立させるのかといった事が秀吉の課題でした。

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兵隊を兼業していた農民、みんな武士に成りたかったのか?2

久々の大戦!大阪の陣

月 桜

前回記事の続きです。前回農民は食うに困り職を求めて戦場に出稼ぎに出、秀吉の全国平定により戦争が激減したところまでを書かせていただきました。

今回は時は流れ、家康が幕府を開きいよいよ豊臣を滅ぼそうと動き出した頃のお話です。この時代になっても戦場はやはり百姓にとっては魅力的な働き場所であった。当時いよいよ大きな戦が始まるぞと全国が浮き足立っていて、農民や百姓達はその動向を伺っていた。後の大阪の陣である。

大阪城

百姓達にとって、関東軍も豊臣も関係ない。職を募集しているのであれば、そこに向かうまでなのだ。戦争があれば農繁期であろうが、土地を離れ出稼ぎに向かおうと考える者達が多く居た。

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